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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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Stillness Speaks: Whispers of Now
◆『Stillness Speaks: Whispers of Now

この本の翻訳本、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』の書評はすでに書いた。エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生は‥‥(The Power of Now)』を読んだものにとっては、そのエッセンスを簡潔な言葉の数々によってもう一度確認でき、さらにきっと新しい発見ももたらしてくれるだろう。エックハルト・トールの本を始めて手に取る人にとっては、読みやすく分かりやすい言葉の数々が、思考のない静寂の中にこそ真理があるというメッセージを力強く伝えてくれるだろう。そして、『さとりをひらくと(Power of Now)』もぜひ読んでみたいと思うに違いない。

最近、私は英語の元の本、『Stillness Speaks: Whispers of Now』を毎日、少しずつできるだけ声を出して読んでいる。すでに三度目の読み返しになる。互いに半ば独立した短い章句の連続で構成された本であり、英語もきわめて平易なので読みやすい。薄くて軽い本だから、カバンに入れておいて、短い時間があれば、短い章句の一つ二つを読んだりしている。英語の勉強にもなる。日本語ではないから、一字一句を心に留めながら読む。それでか、日本語で読んだときには気づかなかった発見があったりする。

何よりもいいのは、たとえ2〜3ページでも毎日読んでいると、その時は必ずスピリチュアルな言葉に接することになり、心が落ち着いたり、勇気をもらったり、刺激を受けたりするということだ。自分の部屋で読むときは声をだすから、それだけ心の深い部分に届いている可能性もある。4回、5回、6回‥‥と本がボロボロになるまで読んでいこうと思う。

JUGEMテーマ:精神世界の本
さとり15:31comments(38)trackbacks(0)
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自己変容の炎―愛・癒し・覚醒 (ヒーリング・ライブラリー)
評価:
ジョーン ボリセンコ
◆『自己変容の炎―愛・癒し・覚醒 (ヒーリング・ライブラリー)

世界の魂は、飢餓や公害や憎悪の炎の中におり、傷ついている。その傷の炎を意識的に使って、癒しの炎に変え、世界を変えていかないと、炎は私たちを燃やし尽くしてしまうと著者は言う。そして逆説的ながら、痛みや虐待やトラウマのおかげで、文字どおり光を見て、個人的な癒しや社会の癒しに熱意をもってとりくむ人が 増えているという。

闇に閉ざされたときにこそ、変容をうながす本物のメッセージが到来するときだというのが、この本のひとつのテーマだ。人生の危機に直面したときに、自分自身と宇宙に対する根本的な信念が、魂の闇夜とどうつき合うかを決定する。「何で私が?」というギリギリの問いこそが、自分がほんとうに信じていることに対面させてくれる。不幸の原因について自分を責めるだけの無力なペシミストなのか、人生の難題に挑戦することが心理的・霊的成長の一過程だと信じるオプティミストなのか。

40代はじめのレスリーという女性は、3年前に夫を亡くした。二人の娘をかかえる彼女は銀行勤めをはじめたが、やがて自分自身が、右の乳房に悪性の腫瘍があることを知る。「何でこの私が」と「最初は考えました。でもそのあと思ったんで す、私がこうなっちゃおかしい理由もないって。だって何が起きるかなんて、私たちにわかるわけないんですもの。‥‥‥ひとつだけわかることは、胸の奥のどこかではっきりわかることは、こういうつらいことが、最後の最後には私のためになるんだってことなんです。なんでそうなるのかはわかりません。死ぬまでわからないかもしれませんが‥‥」

著者によれば、自分の病気や不幸に意味を見出すことができた人は、自分の置かれた状況をより大きな自由と幸福を手に入れるためのチャンスとして活用し、それによって人生の責任をとろうとした人たちだという。レスリーも、今の不幸に愛ある目的が込められていることが、いつの日か明らかになると信じ、自分の人生に責任をとる努力を惜しまない。しかもその信念は、硬直したドグマではなく、柔軟で 開かれている。

魂の闇夜は多くの場合、新しい存在の仕方へのイニシエーション(通過儀礼)だと考える人が、心の健康の専門家のなかにもあらわれているという。病気は、肯定的な移行であり、「恵み」でさえあり、たとえばうつ病は、究極的には自分を心理的・霊的に強めるようなイニシエーションであるという。

人は、無力なものでも、縛られているものでも、役立たずでもない。苦しむだけの価値がじゅうぶんにある浄化に向かって、炎のなかをくぐり抜けているのだ。苦しむことの価値は、それがもっとも神聖なものの探求をうながすところにあるのだ。

知的な興奮を覚えるような新しいメッセージの本ではない。やや冗漫な感じももった。しかし読んでいて魂が気づかぬうちに影響を受けている、そんな印象が残った。

JUGEMテーマ:精神世界の本
セラピー・ヒーリング18:43comments(0)trackbacks(0)
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情報は1冊のノートにまとめなさい 100円でつくる万能「情報整理ノート」 (Nanaブックス)
◆『情報は1冊のノートにまとめなさい 100円でつくる万能「情報整理ノート」 (Nanaブックス) 

タイトルからあまりにシンプルで、そんなに意味ある情報は得られないかなと、購入したが今まで読まないでいた。最近、外出時に持って出てさっと読んでみると、シンプルでありながらいちいち納得できるので、さっそく実行しはじめた。職場では以前から、ちょうど著者が勧めると同じA6のノートを、毎日の仕事確認のために使っていた。これを、職場とプライベートと分けずに、最低限のメモを書くだけでなく、思いついたアイディアや企画など何でも書き入れるようにしたのだ。しかも記入内容のそれぞれに090211などの日付と「企画:新しい旅のブログのアイディア」等の見出しをしっかり書き、時系列でどんどん書き込んでいく。日付と見出しだけはエクセルなどでパソコンに入力し、必要な時の検索に役立てる。要はこれだけのことなのだが、すべて一冊の小さなノートですむので、必要なメモをとるにも、ふと思い浮かんだアイディアを記入するにしても、すばやく負担を感じずにかんたんに書ける。これをやり始めて、メモをとる量が増えた。しかも、あとから日付や検索で必要なときに容易に確認できるから便利だ。誰もが使っているだろうメモ帳を、ちょっと意識してシステマックにすればこんなに有効に使えるのだなと、得した気分である。

JUGEMテーマ:ベストセラー
自己啓発・読書法13:15comments(0)trackbacks(0)
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昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み (NHKブックス)
評価:
アーノルド ミンデル
◆『昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み (NHKブックス)』◆

この本は、おそらくミンデルの本の中でいちばん平易で読みやすいものの一つだ。 ミンデルが創始したプロセス指向心理学は、個人療法、家族療法、集団療法などに適用されると同時に、コーマワークとしても新たな展開を見せている。コーマとは昏睡状態、コーマワークとは昏睡状態の人とのワークを意味する。この本は、コー マワークという特異で独創的なワークの視点からのミンデル世界への入門と考えてもよい。

昏睡状態の人と対話などできないという常識にがんじがらめになっていた医師やセラピスト、その他多くの人々を驚愕させる成果の積み重ね。これまで誰もなしえなかった対話を可能にした驚くべき才能と独創性。その成果を基礎にした説得力。

しかも、その対話や実践的な成果から自ずと明らかになるのは、肉体を超えた魂の永遠性や、肉体の死に直面しつつそれを乗り越えて成長する精神の感動的なあり方なのだ。昏睡状態の人と対話をするという、きわめて具体的な実践を踏み外さず、その視点からのみ語りつつ、とてつもなく深い精神の世界を語っているのに驚く。 その実践に基礎付けられた事実の重みがこの本に、他に類を見ない価値を与えてい る。

昏睡状態にあった魂が、肉体に閉じ込められた視点から認知する「現実」を超えて、はかり知れない精神の世界へ飛び立とうとする。そのとき、愛、自由、癒しといった偉大な課題を成し遂げていく様が、ミンデルとの感動的なワークを通して明らかになってく。昏睡状態は「閉じられたアイデンティティから、より大いなる命に向けての自由を生み出すための歓喜に満ちた最後のダンスの試みであるかもしれない」とミンデルは捉えるのだ。

彼は、「旅の道のりは、しばしばトランス状態や昏睡状態といった影の部分をさまよい、通り過ぎる」とも言う。旅とは、もちろん大いなる命へ向けての旅だ。その旅の道のりにおいて昏睡状態は、しばしば積極的な意味を持つ。「命に関わる病気が死のきわで表す症状は、光明につながる道なのだ。身体から発信されるシグナ ルは、それがいつ現われるかに関わりなく、自覚を捜し求める夢なのである。」

身体のどのようなシグナルが、「自覚を探し求める夢」としてどのようにミンデ ルに受止められ、どのように応答されていくかは、ぜひ本をとって確かめていただきたい。ここではミンデルの次のような言葉を紹介するに留めよう。

「私が出会った昏睡状態になった人々は脳の構造上深刻なダメージを受けた人以外は、全員目を覚まし、パワフルな体験を言葉で語ってくれた。脳にひどい外傷的なダメージをこうむった人ですら、プロセスワークに対して非言語的な合図によって肯定的に反応した。一方、脳にひどい損傷を負っていない人々は目を覚まし、未解決の愛や学ぶべきテーマを完了させた」

この本でもう一つ興味深いのは、ミンデルの他の本には見られない、霊的な世界についてのかなり踏み込んだ発言も見られる点だ。 たとえば、「死に瀕した人々の多くがベッドに横たわりながら、同時によその町中を歩き回るという体験を私にきかせてくれた。私はこのようなケースから、人間の意識は肉体の外に飛び出すこともあり得ると考えるようになった」等々の発言。 いずれにせよ、ミンデルのコーマワークが、以上のような生命観をもとに実践され、またコーマワークの実践が、このような生命観を育んでいったのだということを忘れてはならない。

ミンデルは最後の章を「脳死と死の倫理学」にあてている。最近のニュースでも長い昏睡状態から目覚めた事例があったが、昏睡状態での体験を味わい尽くした後で、自らの決心で息を吹き返す人もいるのだ。持続的な植物状態においてさえ、脳と精神が同一とはいえないと彼はいう。そのような状態でも患者と対話ができるのであれば、死の判定を、家族や医師にまかせてしまっていいのだろうか。「生と死」 は、瞬間毎に当人によってのみ定義され得る」というのがミンデルの主張である。
    
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★特選の本13:47comments(0)trackbacks(0)
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「日本」という国―歴史と人間の再発見
◆『 「日本」という国―歴史と人間の再発見

梅原猛の仏教関係の著作や縄文文化論に関する著作は、かなり読んできた。ただし、法隆寺論、柿本人麻呂論、聖徳太子論など「梅原古代学」にあたる本は、ほとんど読んでいない。これは歴史学者との対談だが、縄文文化論も、古代学も含めて、日本古代史の専門家の意見とつき合わせながら、本人のこれまでの仕事を振り返っている。私自身は、縄文文化論に強い興味をもっているのだが、古事記、日本書紀論も、聖徳太子論も興味深く読むことができた。

最近私は、いわゆる弥生人の渡来と日本という国の成立との関係についてかなり強い関心をもっている。別の言い方をすれば、先住の縄文人と渡来した弥生人が、どのような軋轢や融和を繰り返しながら日本という国が成立していったかという問題である。その意味でも、この本でも振り返られている梅原の聖徳太子論にはかなり興味を引かれた。当時の大陸や半島との国際関係のなかで、それらと関連付けながら聖徳太子の生涯を捉えているからである。ただ彼の『聖徳太子』は全4巻もあるのでまだ読む気にはなれないが。

それにしても私は、先住の縄文人と本格的な稲作技術ももって渡来した弥生人たちが、どのように抗争し、また混血しながら現代につらなる日本の原形ができていったのかという点につよい関心をもっている。

アニメ『もののけ姫』の冒頭でアシタカの部落の民たちは、自分たちを「えみし、大和朝廷に刃向かう東の民」と理解していた。このアニメの時代設定は室町時代と思われる。このころにもおそらく縄文系と弥生系の人々の対立が、何らかの仕方で残っていたのだと思われる。

アイヌと琉球諸島の人々に縄文系の人々の血が色濃く残されているという説は、梅原によって主張され、その後のいくつかの縄文遺跡の発見や、DNAなどを使った人類学的な研究により、ほぼ定説になりつつある。えみしは最後には北海道でえぞとよばれるようになるのであろう。

縄文系の人々と弥生系の人々とは、弥生時代以来どのような関係をもったのか。大和朝廷が蝦夷を制圧していく過程で、どのような文化的な軋轢があったのか。また、大和朝廷が成立した過程で渡来系の人々はどのような役割を果たしたのか。あるいはこのような問いそのものがナンセンスなのか。そもそも渡来系の人々が大和朝廷を作ったのか。だとすればそのとき逆に縄文系の人々はそのような立場にあったのか。

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「ケータイ・ネット人間」の精神分析―少年も大人も引きこもりの時代
◆『 「ケータイ・ネット人間」の精神分析 (朝日文庫)

言葉は平易だが、分析は鋭く、現代日本人の顕著な心理的傾向を的確に分析する重要な本。ネットが人間の精神のあり方にどのような影響を与えているかという問にみごとに答えてくれる。 9年前の出版だが、現代日本の社会と人間関係を分析するための有効な手段としてますます価値が高まっている、と感じる。

一言でいうと、愛も憎しみもある1対1の人間関係(これを「2.0」の関係と呼ぶ)が希薄化し、逆に「1.5」のかかわりが現代人の心に深く浸透するようになった。「1.5」のかかわりとは周りから見ると物体にすぎない相手に、あたかも本物のお相手のような思いを託して、それにかかわるあり方だという。
 特に、テレビ、コンピュータ、「ファミコン」の出現は、これらのメディアによる対象との新しい「1.5」のかかわりによる、現代人固有の心的世界を作り出すことになった。自然と身体の直接のかかわりの代わりに、押しボタン一つでの仮想現実とのかかわりが、あたかも現実とのかかわりそのものであるかのような、倒錯した心の暮らしをする時間帯がどんどんふえているというのだ。

「戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと調べてみると、意外なことに他の先進諸国の傾向とは異なり、最近の青少年は昔に比べはるかにおとなしくなっている」「殺人率の低下だけでなく、全体として青少年は決して凶悪化しているわけではない」、そしてごく例外的に起こる重大事件について不必要なものまで微細に報道し、解釈しようとするメディアのあり方が問題だと広田照幸は指摘する。

これに対し小此木は、たしかにメディアがクローズアップするのは例外的事件ではあるが、やはりそこに現代人の心を先駆的に表現する面があると反論する。 一連の少年犯罪は、いずれも、縁もゆかりもない隣人を、しかも、動機不明のまま、犯人のきわめて主観的な思い込みで殺害してしまうという点に奇矯さがあり、衝撃性がある。しかもその主観的な思いこみの背後には、「引き込もり」がある場合が多いという。

彼らは、アニメやインターネットの世界で自分の衝動をアニメ化して暮らしていたのだが、ネットと現実との使い分けをやめて、ネットからの引きこもりから脱出するとき、仮想現実の世界だけに許されていたはずの衝動を、そのまま外の現実の世界で発揮してしまった。一連の少年事件の背後に、そのような心理的特質がある。 そして、少年たちの事件が、大人に衝撃を与えるのは、実は大人たちの心の闇を露呈させるからだ。

近年の日本人は、多かれ少なかれ引きこもり的な人間関係をいごこちよく感じるようになっている。愛も憎しみもある2.0のかかわりではなく、1.5のかかわりにいごごちのよさを感じるようになり、人間関係全体が希薄化している。  

小此木は、われわれが自然の環境から人工的な環境に引きこもって暮らし、さらに1.5のかかわりを基礎にして、テレビ、ゲーム、携帯、インターネットなどによるヴァーチャルな現実に引きこもる現実が生まれたという。 また、そんな引きこもりと平行して、人と情緒的に深くかかわらない、ある意味での冷たさとか、やさしさとか、おとなしさといわれるような引きこもりが最近の一般的な傾向になっている。激しい自己主張をしあって衝突したり、互いに傷つけあったりする生々しい争いを避けて、みんな表面的にやさしく、おとなしく暮らす。現代の若者の特徴とされる、こんなやさしさは、現代人一般に共通する引きこもりの一種である。

「やさしさは同時に、それ以上深いかかわりを避ける方法になっている。時にはやさくしないで、喧嘩をしたり、叱ったりするほうが、本人のためだという場合もあるのに、それをしない冷たいやさしさである」というのだ。 攻撃性、自己主張、激しい感情は消失したように見えるが、それだけに非常に未熟で訓練されていない攻撃性がやさしさを突き破って、激しい破壊性となってあらわれることがある。しばしばそれは、マスコミを騒がす種々の破壊的な行動の形をとる。

現代人は、主張し合い、傷つけあう生々しいかかわりを避け、多かれ少なかれ、冷たいやさしさへと引きこもり、ある種の破壊性を抑圧する傾向にある。だからこそ突然に破壊的な衝動を爆発させる、やさしき少年の事件に衝撃を受る。大人たちは、これらの事件により自分自身の内なる闇に直面させられるのだ、冷たいやさしさの奥の破壊的な衝動に。

また、 中・高校生だけでなく、大学生、出社拒否のサラリーマン、どの年代の引きこもりの人々にも共通するのは、肥大化した誇大自己=全能感の持ち主であるということ。しかも、その巨大な自己像にかなう現実の自分を社会の中に見出すことに失敗している。一見ひ弱で、小心、傷つきやすく、内気な人物に見えるが、実はその心の中に「自分は特別だ」という巨大な自己像が潜んでいる。

小此木は、現代日本の社会を多かれ少なかれ自己愛人間の社会だという。衣食住がみたされ、食欲も性欲もみたされているような社会、それでいてお国のためとか革命のためとかいう大義名分も理想も効力を失った社会では、私たちの心に唯一活力を与えるのは自己愛の満足の追求である。そして一方的な自己愛の追求は1.5的なかかわりと呼ばれるのと同じ心性が潜んでいる。( しかも全能感や1.5的なかかわりは、テレビゲームやパソコン、インターネットとのかかわりの中で浸ることのできるものである。その意味で彼らは時代のもっとも深い病を反映している。)

現代日本の特徴である自己愛人間社会が、異常な全能感や自己愛の満足しか身につけていない少年や若者を生み出している。彼ら少年、若者は私たち大人の自己愛人間の分身である。われわれの内なる自己愛人間の反映である。 

JUGEMテーマ:精神世界の本
心理学全般15:12comments(0)trackbacks(0)
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禅と日本文化 (岩波新書)
評価:
鈴木 大拙
岩波書店
(1940-09)
◆『禅と日本文化 (岩波新書)

若き日に読んでかなり影響を受け、その後仏教への共感を深めていくきっかけになった一冊だ。鈴木大拙の著作の中で、世界でそして日本で最もよく読まれた本であろう。欧米に禅ブームを引き起こすのに一役も二役も買った。

禅は日本の文化にどんな影響を与えてきたか、そして禅とは何か。もともと欧米人のために英文で書かれた。そのためか随所に心理学的な用語が用いられている。かえってそれが、現代の日本人にも新鮮な禅との出会いを可能にする。私が「心理療法の考え方に通じる」と 「発見」したのも、そんな表現法によるところが多い。

私はその頃、ロジャーズを中心とした心理療法に関 心をもち初めており、禅の主張が心理療法の考え方に深く通ずることを「発見」し、たいへん感動した。それ以来、仏教と心理療法、人間性心理学、トランスパーソナル心理学等とは、一方の理解が他方の理解を深めるという形で、私にとっての主要な関心であり続けた。 その意味でも思い出深い本だ。 その後、特にトランスパーソナル心理学は、仏教に代表される東洋思想に深く影響されながら発展していったのである。その代表的な論客、ケン・ウィルバーは、禅からも深い影響を受け、深い座禅体験ももつ。

いかに心理学的な記述が多いか、一文だけ引いてみよう。 「偉大な行為はみな、人間が意識的な自己中心的な努力を捨て去って、『無意識』の働きにまかせるとき成就せられる。神秘的な力が何人(なんぴと)の内にも隠されている。それを目ざましてその創造力を現すのが参禅の目的である。」こんな調子だ。

この本は、禅を、美術・武士・剣道・儒教・茶道・俳句など日本の伝統文化のあり方に即して具体的に語るので、その意味でも禅への入門書としてすぐれている。禅が、日本の伝統文化の一面にいかに深い影響を与えたかが、説得力をもって語られる。  

梅原猛は、この本が日本文化の禅的な一面だけを強調しすぎることを批判したが、にもかかわらず、この書が古典的な名著であることにかわりはない。

JUGEMテーマ:精神世界の本
仏教・インド思想14:48comments(0)trackbacks(0)
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沢木興道聞き書き―ある禅者の生涯 (講談社学術文庫 (639))
評価:
酒井 得元
講談社
(1984-01)
◆『沢木興道聞き書き―ある禅者の生涯 (講談社学術文庫 (639)) 

沢木興道(1880年6〜1965)は、昭和を代表する日本の曹洞宗の禅僧である。タイトルに「聞き書き」とあるように、沢木興道が話したことを内山興正が筆記し、さらにそれを酒井得元が編集して、書き改めたものであるという。いずれにせよ、こうした記録が残ることによって、金も名誉も求めず、ひたすら求道に徹し、仏道に一生を捧げた一禅者の生き様が、強烈な印象をもって私たちに働きかけてくる。読み始めると夢中になって止められなかった。

沢木興道とは、直接なんのつながりもないが、私が近年いちばん影響を受けたガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている』の中で、さらにいちばん印象に残り、度々思い出すのは、次のような言葉である。

「精神的な探求とは実は死の探求であり、喪失の探求です。多くの人が、開悟を求めて精神的な探求を始めます。が、真の精神的覚醒とは何もかも失うことを通して得られるものなのです。」p317

ここで「何もかも失う」は、「何もかも手放す」と言い換えることもできるだろう。そしてほとんど「何もかも手放す」生き方を貫いたのが沢木興道だったのだ、と私は感じる。

沢木興道は語る、「仏法は餌食拾いの方法ではない。自分の本質が生きる生き方である。もしも食が授からなかったら食わずに死ぬという覚悟が、そのころからできかけた。」

その覚悟ができかけたというのは、18歳のころだという。そして彼は自分の半生を次のように振りかえる。

「食わされれば食う、食わされなければ食わぬ。衣類も着せられれば着るが、自分では着ぬ。一切生活を追い求めることはしないというのが、わしという人間の日常である。『ただ真っ直ぐむこうを向いて行くばかり』というのが、これまでのわしの一生であったが、今後もそうであろう。」

「ただ直ぐむこうを向いて行くばかり」というのは、もちろん仏道のことだ。この本を読むと、沢木興道という人はこういう生き方を実際に貫いた人だということがよく分かる。金や名誉や地位といった、「自己」拡大のための道具立てに一切執着せず、ただひたすら「真実」のためにのみ生きる。そこに本当の修行の姿があると、最近わたしも切実に思う。この本の魅力は、そういう生き方を貫いた男の真実さがまっすぐに伝わり、自分もそういう生き方をしたいと、思わせる力をもっていることだ。

結局人は、すべてを失って死んでいかなけれならない。しかし、すべてを失うから、一切が虚しくなるのではない。逆に、すべてを失うことが実感されればされるほど、本当に大切なものが見えてくるのだ。

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仏教・インド思想21:53comments(0)trackbacks(0)
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フィンドホーンへのいざない―誰もが癒される不思議な場所がある
評価:
寺山 心一翁
サンマーク出版
(1998-10)
◆『フィンドホーンへのいざない―誰もが癒される不思議な場所がある

読み始めるやいなや、フィンドホーンの世界に魅せられたかのように夢中になっ た。アイリーン・キャディの本は読んだことがあるが、『フィンドホーンの魔法 (サンマーク文庫)
』 など、フィンドホーンそのものについて詳しく書かれた本はまだ読んでいなかった。 先日、著者の寺山氏にお会いし、そのエネルギッシュで生き生きとした姿に感銘を受けたこともあり、ぜひ読みたいと思った。

フィンドホーンはイギリスのスコットランド北部の村。1962年、ピーター・キャ ディとその妻アイリーン、そして友人のドロシー・マクリーンが、フィンドホーン村 の外れ、海に面した荒地に一台のキャラバンカーとともに移り住んだ。その地でアイリーンは、「神」からのガイダンスを受け取り、ドロシーが自然の精霊と対話し、ピーターがそれを実行に移すことで、次々と信じられないことが起こり始めた。 そこに彼らは自分たちの食料を作るために菜園を作る。ドロシーの聞く精霊たちの声に従って野菜をつくり始めると、味もよく生き生きとした野菜が育ち、荒涼としたハリエニシダしか咲かない砂地に18キロのキャベツや、27キロのブロッコリー が取れるようになった。その噂は広がり、農業の専門家も訪れて、そこに土壌学的 には不可能なはずの奇跡が起こっていることを確認する。この巨大な野菜の収穫は数年で終わったが、フィンドホーンは有名になり、多くの人々が訪れ、やがてコミュニティーが作られるようになる。

寺山氏のこの本では、現在におけるフィンドホーンの姿が興味深く語られる。この地、このコミュニティーが持つ癒しの力。様々な国籍、文化、宗教の人々が訪れては去るコミュニティーの開かれた性格。そこでどのような活動が行われ、それがどのように人々を癒し、どのようにその人生を変えていくのか。エコビレッジなどの建設によりどのように環境問題に取り組んでいるか等々。日本人の体験者たちが、フィンドホーンでどのように変っていったが、実名によって語られることで、さらにその具体的な姿が伝わる。

ぜひ、フィンドホーンを訪れてみたい、そう思わせるような本だ。なぜ、そう感じるのか。おそらくきわめて霊的な波動の高いその地で、きわめて開かれた形で、そこに集う様々な人たちによって、様々な形で、本物の霊的な探求が行われ、全体が霊的な成長に向かっている場所、それがフィンドホーンからだだ。その強い霊的なエネ ルギーが、本から伝わってくるような気がする。

特定の瞑想や、特定のセラピー、あるいはいくつかの瞑想やセラピーを組み合わ せて提供するところは、多いであろう。しかし、宗教や民族を超えて「内なる神」を探求する人々が、自然との調和を求めながら共同生活をし、ダンスや歌、フラワーエッセンスなど、様々な分野でそれぞれの才能を生かしながら、癒しと成長を分かち合う、世界各地からの多くの訪問者が、短い滞在期間のうちにも人生が大きく 変化するような深い精神的な体験をする‥‥そういう共同体はまれなのではないか。

もちろんそこにはきれいごとばかりがある分けではないだろう。寺山氏は、フィ ンドホーンがこれまでに何度も運営上の危機に見舞われたことを報告している。96年に経営コンサルタント会社がフィンドホーンを調査したところ、メンバーの多くが精神的に行き詰って、仕事に愛や喜びを感じていないという深刻な状態にあることが分かったという。そこで、新しいマネージメント・チームが結成されて、大きな改革に乗り出したという。 おそらくその内部に乗り越えるべき様々な問題があるにせよ、その地に噴出しているエネルギーは、それらを飲み込み浄化して前進していくだけの力をもっているように感じる。しかもそれは、特定の宗教や伝統や民族に限定されない、純粋でかつ強い放射力をもつエネルギーだ。 それこそ、フィンドホーンに強くいざなわれるような思いにさせる本だった。

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ニューエイジ21:22comments(0)trackbacks(0)
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魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ
評価:
ゲーリー ズーカフ
サンマーク出版
(2003-03)
◆『魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ

最初は、それほど興味をもてなかったが、次第に強く引かれるものを感じるよう になった。独特の、不思議な読後感があって、しかもその基本的なメッセージには共感し、胸にずしりと来た。「全米で300万部を超えたロング・ベストセラー」というのも、今は分からないでもない。それにしてもアメリカ人のおよそ100人に1人が 読んだとは!!

宇宙が語りかけてくる声が聞こえるようになり、それを紹介しているという。そ してその主張の根拠は一切説明していない。しかし基本的な主張としては、深くその通りだと感じる。霊的な成長やカルマについては、スピリチャリズムやニューエ イジ系の主張と重なる部分が多い。ただ、独特だが明快な言葉遣いの表現や、非常にシンプルで分かりやすいメッセージに力強さがあって、不思議な感じは、そんなところからも来ているのだろうか。

「私たちの魂は永遠であり、それが私たちの本質である」が、見えるものしか信じない「五感型人間」には、それが分からない。私たちは今、五感型人間から、直感を有効に活用する「多感覚型人間」へと霊的に成長し、進化しつつあるという。

「魂は存在する。そしてそれは、始まりもなければ終わりもなく、つねに調和に向かって流れている。パーソナリティーは、魂が物理的な世界のなかで活躍するためにもちいるエネルギー装置である。」

パーソナリティー(個々の人生を生きる自己)は、その魂が体験する無数の人生のうちのひとつであるという。魂は、時間の外側に存在している。魂の視野は広大で、その知覚はパーソナリティーのもつ限界を超越している。

「パーソナリティーが魂から独立して活動することはない。そしてパーソナリティーは、それ自身が魂に近づけば近づくほど癒されることになる。」

また、魂はそれ自体、時間による制限を受けないから、魂の観点からすれば、それが体験する人生は、すべて同時に存在するという。そして、ひとつの人生が終わると魂は、それ自身の本質である不滅で時間のない状態に戻っていくという。

時間の制限を受けない非物理的な魂と、物理的な世界で個々の人生を生きるパーソナリティーとの関係の捉え方は、私には新鮮で、しかも確かにそうかもしれないと思わせる明快さがある。

さらに「私たちは新のパワーに向けた旅の途中にいる。真のパワーで満たされることは、進化のプロセスのゴールであり、私たちが存在していることの目的である」、「私たち人類はいま、外側のパワーを追求する種から、真のパワーを追求する種へと進化しつつある」と言われる。

真のパワーと外側のパワーという表現も独特で、パワーという言葉は一見誤解を招くかに見えるが、文脈を追えばその意味するところは一目瞭然だ。 教育、社会的地位、名声、人を支配したり利用したりしようとする力、そして魅力的な肉体や財産などの様々な所有物、それら私たちが失うことを恐れる一切のものは、外側のパワーのシンボルである。外側のパワーには、怒りや敵意、恨みなど の衝動が付着する。

パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させることで真のパワーを獲得し、否定的な衝動は消失する。パーソナリティーは、このように意識的な決断を行うたびに一歩一歩、真のパワーを獲得していくのである。

パーソナリティーは、われわれが「自我」と言っているものにだいたい対応しているようだ。多くは物理的世界での外的なパワーの獲得に執着し、外的なパワーへの依存症に陥っている。 パーソナリティーは、そうした執着から自由になればなるほど、魂に近づく。魂は、いわば「悟りの意識」のようなものであるが、個別的なあり方を保ち、様々な パーソナリティーとして物理的な世界に現われる輪廻の主体である。

「もしもパーソナリティーが、それ自身の魂のエネルギーに充分に奉仕できるよ うになったとしたら、そのときこそが、パーソナリティーにとって、真のパワーで満たされるときである。そして、そうなることこそが、私たちがかかわっている進化のプロセスのゴールであり、そこに行き着くことこそが、私たちがいまここに存在している理由である。」

この本を読む人のあり方いかんで、その明快な言葉のひとつひとつが、魂に強く働きかけて、「真のパワー」への道を歩もうと、思いを新たにする、そんな本だと思う。

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