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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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影の現象学 (講談社学術文庫)
評価:
河合 隼雄
講談社
影の現象学 (講談社学術文庫)

私が手元にあるのは1976年に思索社から出版されたものだが、今では講談社学術文庫で手に入る。数多い河合の著書の中でも代表的なものの一つだろう。ユングの「影」の概念を中心にしてユング心理学の世界が語られ、「影」という視点からの ユング心理学へのよき案内ともなっている。

自我は、まとまりのある統一体として自らを把握している。しかし、まとまりをもつためには、それと相容れない傾向は抑圧される。その生きられなかった半面が、 その人の影である。ただ、影の概念は多義的であり、狭義には、夢に現れてくる人物像で、夢を見た人と同性のものを影、異性のものをアニマ(男性の夢の中の女性像)、アニムス(女性の夢の中の男性像)と区別しることもある。

影は、もちろんすべての人間が背負い、その大きさや濃淡、影響力を変化されなが ら人生の歩みに付き添ってくる。それは、しばしば意識を裏切り、自我の意図とは 逆の方向に作用する。自分の影につき動かされて行動し、自らの破滅を防ぎきれな いことすらありうる。

ときに影は、個人だけではなく、人間関係や集団の動向にとってもきわめて大きな力をもつ。 個人に影が存在するように、人々が集団をなし、共通の理想や共通の感情によってとまるとき、そのような自覚的な共同幻想からはみ出す部分は影となるのである。 集団の影を背負う人は、予言者、詩人、神経症、犯罪者になるか、あるいは一挙に影の反逆に成功して独裁者になるか、何らかの異常性を強いられるという。誰が選 ばれるにせよ、そこには運命としか呼びようのない抗しがたい力が働く。

集団の影が、その集団自身に反逆するだけならまだしも、その巨大な影を外部に投影して破壊的な行動をとるとき、どんな悲劇が生まれるか。しかし、現実には、そ のような集団の抑圧された破壊的なエネルギーが、悲惨な結果を積み重ねてきたのが、現実の歴史だろう。ユングは、たとえばナチスの動きをキリスト文明の影の顕現と見ていたという。私は最近、集団にとっての影というテーマにとくに強い関心 をもっている。

影は、自我に受け入れられなかったものであり、元来は悪と同義ではない。しかし、 創造性の次元が深くなるにつれて、それに相応して影も深くなり、普遍的な影に接近すると、悪の様相をおびることもある。自己実現の要請は必然的に影の介入をも たらし、それは社会的な一般通念や規範と反するという意味で、悪といわれるものに近接するのである。その時に、社会的通念に従って片方を抑圧しきるのでもなく、 また、影の力を一方的に噴出せしめるのでもない。あくまでも両者を否定すること なく、そこに調和が到るのを「待つ」ことが大切だという。

影の得体の知れない奥 深さ、不思議さと豊かさ、そして恐ろしさ。この本からは影のそうした多様な姿が伝わってくる。ただ単に抑圧されたものを解放すれば覚りにいたるというほど、こ とは生易しくはないのだろう。 神話や説話、文学作品、河合が接した事例や、報告された夢などの具体例に触れな がら、ユングの元型論をベースに「影」をめぐる考察が豊かに展開される。影の創造性、善と悪の関係、影の存在の無限の広がりが示唆されて、私たちの心の深層の 不思議さを強く印象づける本である。(追記、2005/4)

JUGEMテーマ:精神世界の本
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24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学
評価:
アーノルド ミンデル
春秋社
24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学

「24時間の明晰夢」いう概念は、心理療法をスピリチュアルな実践に近づけたとミンデ ルは言う。読んでまったくその通りだと思う。これは、「語りえないタオ」、ブラブマン、 ブッダマインド(仏心)、「大きな自己」、つまりミンデルのいうドリーミングにつながる ための心理学だ。  

ドリーミングは、すべての日常的現実の基盤であり、人生の中核にあるエネルギーであり、 すべてのスピリチャルな教えの源泉である。しかも、それは微細な体験として日常生活の中 で私たちにたえず働きかけている。明確に捉えることができるあらゆる思考や感覚に先立つ かすかな知覚であり、傾向であり、夜見る夢にさえ先立つ。日常的意識に一瞬の体験として 現れ、非合理的で、夢のようで、ふつうは明確にとらえることはできない。  

一般にいう「明晰夢」とは、夜夢を見ているときに自分が夢を見ていることを自覚し、夢 の中で意識的に動けるようになることであった。ミンデルは、この明晰夢の概念を拡大し、 質的に転換する。  

もし、日常的な言葉では明確に捉えることができない、かすかな(センシェントな)傾向 を知覚する注意力を鍛え直すことができれば、驚くべき畏怖の念をだかせる現実が開ける。 日常生活の背景に潜むドリーミングの力を生きることが可能となるのだ。いっさいの出来事 に先立つ傾向、すなわち日常的現実を発生させるドリーミングという背景にいつも気づいて いる能力を、ミンデルは「24時間の明晰夢」と名づけた。  

ミンデルのドリーミングの心理学が、伝統的なスピリチャルな教えに対して新しいのは、 ドリーミングを私たちの日常的な現実に対してたえず働きかけて来るプロセスとして捉えて いる点だ。  身体的な症状とのかかわりのなかで、もつれた人間関係のなかで、飲食物などへの嗜好の なかで、ドリーミングがどのようにその兆しを現し、どのように意識にとらえられるか、具体的なワークも示しながら語る。ほとんど言語化できない漠然とした感覚や直感として立ち現れる(=センシェントな)傾向を意識化する心理療法的な方法(ワーク)として画期的だ。  

意識を明晰に研ぎ澄ませば、タオはかくも様々な仕方で私たちに目覚めを促しているのか と、通読しつつ感動した。  

本書の最後にミンデル自身の印象的なエピソードが語られる。彼は、北米の先住民とのか かわりの中で予期せぬ裁判沙汰に巻き込まれる。彼が事実を正直に語ろうとすると相手側の 弁護士は「イエスかノーかで答えよ」と追いつめる。  

窮地に追い込まれたミンデルに一瞬ある画面が閃光のように蘇る。最初に法廷で「すべて の真実を、ただ真実のみを語る」と宣誓したときの記憶だ。多くの場合私たちは、このよう に気まぐれにふと蘇る記憶のイメージをまともに取り上げず、意識の端に追いやって忘れて しまうだろう(周縁化)。  

しかし、ミンデルはそうはしない。瞬時にそれをドリーミングからの働きかけと直感する。 そして相手の弁護士に静かに謙虚に告げる。「イエスかノーかとという答えは、申し訳ない が宣誓したようなすべての真実ではない」と。それを聞いた弁護士は、何か心に打たれるも のだあったのだろうか、ミンデルが自由に語ることを認める。  

ミンデルは、自分の気持ちも含めたすべての真実を明確に話した。語りながら相手の弁護 士への敬服の気持ちや、対立する相手との友情への関心にも、気づいていたという。その結 果、相手側は裁判をおり、和解が成立したというのだ。

「あなたが明晰さの訓練をすると、目覚めてもドリーミング・プロセスが続くことに気づ くだろう。‥‥あなたが明晰ならば、そして日常生活に展開していくセンシェントな体験を 忍耐強く追いかけるならば、『あなた』のドリーミングがあなたを目覚めさせ、生活の場面 にはいりこんでくることに気づくだろう。」

「あなたは一日中目覚めのプロセスが起こっていることを感じることができる。あなたが しなければならないのは、ドリーミングを認識し、センシェントな体験、知覚の神秘に注意 を払い、人生が開示し、展開し、創造されていくプロセスに気づくことである。」

『うしろ向きに馬に乗る』でも確認したようにミンデルはいつもタオが、日常的な現実、 生活の場面、人生の流れの中に展開していくプロセスに注目しているようだ。  用語に慣れないとやや読みづらいかもしれないが、充分に読む価値のある本だと思った。

JUGEMテーマ:精神世界の本
心理学全般22:39comments(0)trackbacks(0)
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プロセス指向心理学入門―身体・心・世界をつなぐ実践的心理学
評価:
藤見 幸雄,諸富 祥彦
春秋社
プロセス指向心理学入門―身体・心・世界をつなぐ実践的心理学

ミンデルが創始したプロセス指向心理学への本格的な入門書である。ミンデルに初めて接する人にも、もうすでにある程度知っている人にも、可能性に満ちたPOP全体への見通しを提供してくれる。日本の第一線の研究者・セラピストらが、関連領域との比較考察なども含めて、様々な立場から語り、広い展望が得られて興味深い。

いろいろな論文を読んでとくに刺激を受けたのは、プロセス指向心理学の方法を日常生活の中でいかに生かしていくか、だった。

プロセス指向心理学は、就寝時の夢だけでなく、病や人間関係のあつれきや、無意識の何気ない動作なども、すべて夢と同様、より深い次元への通路と考える。病や人間関係のもつれなど困った「問題」は、異次元から入り込む「異物」ではあるが、それを避けたり、排除したり、敬遠したりするのではなく、私たちに大切なものをもたらしてくれる「何ものか」として敬意ももって接しようとする。

日常生活に沸き起こってくる問題を、そのような大切な学びの通路として自覚的に対したいと思う。

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心理学全般21:18comments(0)trackbacks(1)
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生きる自信の心理学―コスモス・セラピー入門 (PHP新書)
評価:
岡野 守也
PHP研究所
生きる自信の心理学―コスモス・セラピー入門 (PHP新書)

ハウツーものではない深さと面白さ。前半は「身体感覚をとり戻す」「自己能力感を確立する」「自己価値感を確立する」「認め合う人間関係を作る」等の観点から、シンプルだがなるほどと感じさせるワークの紹介だ。

後半は、現代科学の宇宙論の視点から、宇宙には自己進化、自己組織化に向かう方向性があり、その方向性の中の一部として人間も存在するというコスモロジーを提示する。近代科学の還元主義的な世界観を暗黙のうちに押し付ける現代日本の教育のあり方に対し、自分の命の意味を納得できるような新たなコスモロジー教育を示す。

もちろん今自信をもてない若者が読んで自分でワークをすれば自信が取り戻せるようにも工夫されている。このコスモス・セラピーの成果はめざましく、自信がなかった参加者たちの90%が自信が湧いて来たと答えるそうだ。基本的ないくつかのワークを土台にし「物質還元主義科学」の世界観をくつがえすような宇宙像を実感してもらうワークで、若者の心の中の構造的な自信喪失が克服される結果だろう。

JUGEMテーマ:精神世界の本
心理学全般23:18comments(0)trackbacks(0)
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痛みと身体の心理学 新潮選書 (新潮選書)
評価:
藤見 幸雄
新潮社
痛みと身体の心理学 新潮選書 (新潮選書)

プロセス指向心理学(POP)への、平易ですぐれた入門書である。私はプロセス指向心理学の創始者であるミンデルの着眼と、心理療法として方法、そしてその世界観に強く引かれ、共感する。この本でもその魅力が十二分に伝わる。しかもこの本は、痛みや症状から始まり、人間関係、死のプロセスを生きるコーマ・ワーク、 社会的・政治的問題を扱うワールド・ワークまで、プロセス指向心理学の幅広い領域を偏らずに紹介し、ミンデルの方法と世界観が、ミンデルや著者が扱った事例を織り交ぜながら、たいへん分かりやすく語られている。

プロセス指向心理学の基本的な考え方を確認しよう。ミンデルは、身体と夢とを同 じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

そしてドリームボディは、心と身体の中間にある「第三の存在」といえる。これを サトル・ボディ(霊妙体、微細身)と呼んでもよい。つまり、物、肉としての身体 とは異なる「もう一つの身体」ともいえる。そしてこの高次の実在の次元において、 心身は究極的に一如である。それは心と身体の中間に位置すると同時に高次元(あるいは深い次元)において両者を超えて、統合する存在である。この「第三の存在」をユング派では「魂」と呼ぶ。

このように、心と身体、夢や身体症状が、心身やドリームボディさらには魂のファクターであるなら、症状や夢は単に否定的なもの、病理的なもの、わけのわからないものではなく、そういった「高次元の存在」に至る、糸口あるいはチャンネル (通路)と捉えなおすことができるとPOPは考える。

本書には、かんたんに取り組むことのできるセルフ・ワークが、1から13まで挿入されている。これを試みるだけでも、POPの考え方がかなり実感できるかもしれない。ひとつ例を挙げよう。 たとえばこんなワークがある。現在患っている身体症状などに気持ちを向ける。現在とくになければ過去に患い治ったものでもよい。その部位をていねいにじっくり と感じる。身体の感覚を保持したまま何かのイメージが浮かんでくるまで待つ。意識状態がふんだんより深まると、イメージが現れやすくなる。身体症状から浮上したイメージ、思い出された夢が、ドリームボディあるいは、その現れであるという。 現れてきたドリームボディを、自分とは異なる命、意志、自律性をもった他者存在 と仮定して、それが身体症状や病、身体感覚、夢、イメージという形を通して表現 している意味や目的を、想像してみるのだ。 症状は夢と同様、私たちの生き方に訴えかけるメッセージとして出現するのだ。病 気や身体症状などのマイナスと把握されやすいものに隠されたメッセージ・知恵を 見て、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるというというのが、 POPの捉え方である。

ワークの実際においては、見落とされがちな「起こりつつ あること」がそのプロセスを全うできるようサポートする。そのプロセスに十分に自覚して関われば、症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終えて消失することも起こるという。

夢、すなわちドリームボディは、夜眠っているときだけではなく、病や身体症状、 さらに他者(との関係)のなかにも何らかの形で、常に介在している。現実の中にはいつも夢が流れていて、それは自らの表現する媒体を探しているのかもしれない。 私たちは、現実に生きながら、同時に夢の世界に足を踏み入れているのだという。 これはまるで文学的な表現のようでありながら、POPの背景となる真実を語ろう としている。こうした考え方にミンデルの奥深さとなんともいえない魅力がある。 「深さの次元」が、たえず私たちの周囲の現実にその表現を求めて立ち現れている、 という捉え方は、私たちの心を揺さぶる不思議な魅力をもっている。そして、気づこうとする意志と注意力さえ持っていれば、それは確かな真実として実感されるのだ。

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心理学全般23:13comments(0)trackbacks(0)
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うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践
評価:
アーノルド ミンデル,エイミー ミンデル
春秋社
(1999-08)
うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践

思わず「やはりミンデルは素晴らしい」と呟きながら夢中で読んだ。これは、エサレン研究所でのワークショップの記録であり、プロセス指向心理学についてのミンデルの講義とプロセス・ワークの実際との記録である。プロセス・ワークは、ユング派の分析家であるアーノルド・ミンデルが創始したセラピーの技法だが、セラピーという枠を越え幅広い展開を見せる臨床学となっている。

これまでに読んだミンデルの何冊かの本の中では、私にとっていちばん刺激が多かった。実際のプロセス・ワークを元にし、具体的で分かりやすいということもあるだろう。同時に私自身がヴィパッサナー瞑想を実践するようになり、その観点から比較しつつ読んでいるという理由もあると思う。

プロセス指向心理学では「自覚」(アウェアネス)が非常に重要な役割を果たす。全体的になること、すなわち気づいていた側面に加えて、気づいていなかった側面にアクセスすることを、プロセス指向心理学では「意識」の本来の働きと考えている。
 
「私たちがすべきことは、自分および人々がどのように物事を知覚しているかに気づくことです。そうした知覚の展開を自覚していると、以前には静的な状態が統治していたところに流動的なプロセスが創造され、思いがけない発見や豊かさがもたらされるでしょう。」

気づいていなかった側面が自覚にもたらされると、それ自身で展開し、成長し、解決する創造的なプロセスが生まれる。「丁寧に観察しながらプロセスに従う」という方法は非常に高い普遍性を持っている。ヴィパッサナー瞑想に共通し、しかもヴィパッサナー瞑想を、心理学の立場から豊かに意味付けしているように感じる。少なくともヴィパッサナー瞑想は、自覚にともなうプロセスの展開については強調していない気がする。

ワークの実際場面で言えば、「起こりつつあること」がそのプロセスを全うできるようサポートする。見落とされている「起こりつつあること」を十分に自覚して関われば、症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終えて消失することも起こるという。

強く引かれるプロセス指向心理学の考え方に「ドリームボディ」がある。ミンデルの基本となる考え方のひとつだ。ミンデルは、もし身体の調子が悪ければ、おまえは病気なんだとみなす考えに納得できなかった。夢分析中心の伝統的なユング派の臨床を続けるうちに、実は体に現れている症状も夢と同じように無意識の創造的な発現なのではないかと思うようになる。夢には意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に病理的なものでも、悪いものではない。

夢と身体症状は、お互いがお互いの分身であるかのようだ。夢に現れるイメージも、身体に現れる何らかの症状も根元は同じで、たまたま夢という形を取るか、身体症状という形を取るかの違いに過ぎないと考え、その、同じ根元を夢と身体の一体になったものとして「ドリームボディ」と名づけたのである。

ドリームボディのメッセージは、やがて夢と身体だけではなく動作、人間関係、共時的な出来事を含めた様々なチャネルを通して現れてくることが発見され、そこで起こっている出来事を丁寧に観察してその流れについていくことが重要だという、プロセス指向心理学へと発展した。無意識は、そのメッセージを伝えるために、様々な感覚器官(チャンネル)を利用する。それが夢の視覚イメージであっても、身体の体験であっても、人間関係や出来事であっても、メッセージとしての働きは同じだというのだ。

私がミンデルにいちばん引かれるのは、病気や身体症状などのマイナスと把握されやすいものに隠されたメッセージ・知恵を信頼し、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるという点だ。 

「この病気はとんでもない」と言いつつ、同時に「これは何と興味深いのか」という。苦しみに嫌だというだけではなく、なるほどという眼を向ける。死を恐ろしいと捉えるだけではなく、死は何か大切なことを教えてくれるものと捉える。それらを無視するのではなく、自覚的に充分に体験し生きようとすると、無視されていたプロセスが、自ら展開し、成長し、私たちをより全体的な統合へと導いていく。

タオあるいは自然に従うとは、私たちが好まないことにも注目し、それに従うことをも意味する。自分のやりたいことに注目するだけではなく、自分の意に反した、ばかげたことを拾い上げ自覚化する。日常的な意識の様式を裏返えし、「うしろ向きに馬に乗る」。トラブルの中に隠された可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子を見出す。そうするとタオがそれ自身のプロセスに従って全体性が回復されていく。

タオとは、意識の外に追いやられ無視された内と外の現実に目を向け、それを自覚し生き抜くことによって始まる統合へのプロセス。統合へのプロセスは、人間の「はからい」を超えている。そのプロセスへの信頼。タオへの信頼。

しかもタオへの信頼が、プロセス・ワークという実践に裏付けられている。これまでにも無意識と意識の統合を説いた心理学者は多くいただろう。ミンデルは、人智を超えた統合のプロセス(タオ)そのものを中心にすえ、それに限りない信頼を置く。

ミンデルには、心理療法のこれまでの理論家に感じたのとは違う根源性を感じる。それはやはり、パーソナリティではなく、タオと表現されるような、生成し展開するプロセスを中心あるいは基盤にすえているという点だろうか。トランスパーソナル心理学でさえ中心はやはりパーソナリティであり、パーソナリティを超えるにしてもパーソナリティの視点があってこそのトランスパーソナルなのだ。

ミンデルにおいては、しかも生成し展開するプロセスそのものへの信頼が、実践の中で現実に起こるプロセスとして確認される。その豊富な事例。そこがミンデルの魅力のひとつであり、特にこの本の魅力でもある。

最近たまたま河合隼雄の『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日新聞社)を読む。この中に次の言葉があった。

「私は心理療法をはじめた若い頃、どうしても自分が役に立ちたい、自分の力で治したい、という気持ちがあって、そのために、自分が病気になるのではないか、と思うほど疲れたが、そのうち『私の力』で治すのではないことが実感されてきた。もっと大きい力によって治ってゆくことがわかるようになったので、あまり疲れなくなった。」

この話は、河合の他の本でも読んだ記憶があり、疲労の度合いは周囲の人が心配するほどだと書いてあった。今回読んで「あっ」と思ったのは、「もっと大きい力によって治ってゆく」という部分だ。

「大きい力」とは、セラピストや患者を超えたところから来る大きな力というニュアンスがある。

ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。

河合がいう「大きい力」も実際には、それと変わらないのかも知れないが、ミンデルのようにタオの内在性を強調してはいない。ミンデルに私が引かれるのは、この現象に内在する知恵への信頼によるのかも知れない。

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心理学全般17:31comments(0)trackbacks(0)
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日韓いがみあいの精神分析 (中公文庫)
評価:
岸田 秀,金 両基
中央公論新社
日韓いがみあいの精神分析 (中公文庫)

誰しも自分の本当の起源が嫌いなのである。自分の独自性を損なうからである。日本人は、建国の時以来、朝鮮とのつながりを否認し、純粋な日本人という幻想をもつことで、日本を建国した。

そのような幻想と否認によって、自己のアイデンティティを保とうとするとき、否認する相手への差別意識が必要となる。さらにペリーに開国を責められて屈したために、ヨーロッパ人への劣等感が生まれ、その補償として自分より劣等と思える存在が必要となった。それが韓国人やアジア人全体への差別意識につながった。

我々一人一人のなかにある差別意識を自覚化し、その根元にどんな経験が横たわっているのかを知るうえでも貴重な分析だ。個人個人が、自分の無意識に根ざす差別意識を自覚化し、解消していかない限り、国家レベルの問題の解消も困難だろう。岸田の仕事は、もっともっと議論されてよい。

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心理学全般14:31comments(0)trackbacks(0)
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「ケータイ・ネット人間」の精神分析 (朝日文庫)
評価:
小此木 啓吾
朝日新聞社
「ケータイ・ネット人間」の精神分析 (朝日文庫)

平易で読みやすいが、現代日本人の顕著な心理的傾向を鋭く分析する。ネットが人間の心どんな影響を与えているかを見事に描き出す。

愛も憎しみもある1対1の人間関係(これを「2.0」の関係と呼ぶ)が希薄化し、逆に「1.5」のかかわりが現代人の主流になりつつある。それは、周りから見ると物体にすぎない相手に、まるで本物のお相手のような思いを託して、それにかかわるあり方だ。

テレビ、コンピュータ、「ファミコン」の出現は、これらのメディアによる対象との新しい「1.5」のかかわりと言う現代人固有の心的世界を生み出した。自然と身体の直接のかかわりではばく押しボタン一つでの仮想現実とのかかわりが、あたかも現実とのかかわりあるかのような、倒錯した世界に生きる時間帯を増やしている。近年の日本人は、多かれ少なかれ引きこもり的な人間関係をいごこちよく感じる。1.5のかかわりにいごごちのよさを感じ、人間関係全体が希薄化している。

ネットと現代人の心理的傾向の関係を考えるために必読だ。

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心理学全般13:21comments(0)trackbacks(0)
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日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)
評価:
岸田 秀
文藝春秋
日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)

著者は、精神分析を国家のあり方に応用し、日本をペリー・ショックによる精神分裂病患者、アメリカをインディアン虐殺に起因する強迫神経症患者として実に興味深く分析している。近代日本にとっていちばん根深い無意識的な傷が黒船の威圧によって無理強いされた開国にあるというのが岸田の有名な仮説である。一方、アメリカ建国にともなう深層のコンプレクスは、アメリカ先住民(インディアン)を死においやり、その犠牲の上に現在のアメリカがあるということである。フロイトの理論を国家のあり方や国家間の摩擦に応用して精神分析するという手法は、それ自体たいへん興味深い。

岸田の分析をすべて受け入れる必要はないだろうが、少なくともこうした視点から日米関係を振り返るための重要な素材が提供されたと言うべきだろう。また、国家としての集団の精神構造を自覚的にとらえる作業は、自分自身の精神構造を自覚化する上でも大切だ。

余談だが、トム・クルーズが主演した『ラスト・サムライ』を、私は映画として評価しないが、インディアンと日本人とをオーバーラップさせるアメリカ人の意識が、ストーリーや画面に計らずも反映していて興味深い。またそこには、インディアン虐殺に対する罪悪意識を浄化しようとする、たぶんに独善的な心理が暗示されているとも言えよう。岸田理論は、『ラスト・サムライ』を見るうえで大きなヒントを与えてくれる。

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心理学全般19:58comments(0)trackbacks(0)
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生と死の接点
評価:
河合 隼雄
岩波書店
生と死の接点

 西洋近代の自我は、男女を問わず、男性の英雄像で表される。怪物を退治した英雄が、怪物から奪い返した女性と結婚するという、西欧の昔話に典型的なストーリーは、西欧の自我像を端的に表現している。
それは、母親殺し、父親殺し(自立を阻む無意識的なものを断ち切る)の過程を経て、自らを世界から切り離すことによって自立性を獲得した自我が、ここに一人の女性を仲介として、世界と新しい関係を結ぶことを意味する。西洋近代の自我は、壮年男性の自我をモデルにしていると言ってよい。

 しかし、人間の意識にはいろいろなタイプがあり、ヨーロッパ型に対して、もっと他の、老の意識、女の意識、少年の意識などと名付けられるものがある。日本人の自我像が老若男女いずれの像によって示されるか難しいが、日本人の意識において母性優位は、河合が早くから指摘するところだ。

 いずれにせよ自我は、その統一性を保つために他の可能性を排除する傾向がある。かつて新興国だったアメリカは、フロイトの学説から、壮年男子像を強調する部分を受け取り、それで充分であったが、現在はユングも注目されるようになった。それは「名誉、権力、名声、そして女性の愛」(フロイト)というような、強い自我を確立していく人生前半の課題だけでは解決できない問題に直面したことを意味する。

 壮年男子像をモデルに頑張って来た自我が、これまで無視してきた半面に気づき、取り組んでいく課題が生まれたのだ。ライフサイクルという考えが重視され、老年も含めた人生の課題が考えられるようになったのは、欧米中心主義が当の欧米でも崩壊しはじめたことを意味するかも知れない。

 近代科学に代表される、可能性の飽くなき拡大や追求は、どうしても西洋的な自我と結び付いて、進歩発展や拡張の方にばかり進むが、本当の人間的な可能性は、老の意識、女の意識、少年の意識などを受容するところにあるだろう。

 また、科学の知は、自分以外のものを対象化し客観的な因果関係によって見ることで成立しているが、それによって自他、心身、世界と自我などのつながりは失われがちとなる。自分を世界の中に位置付け、世界と自分とのかかわりのなかで、ものを見るためには、われわれは神話の知を必要とする。
 それは、近代科学の発達を逆行させるものではなく、その知の基礎にあるのは「私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的に濃密な意味をもったものとしてとらえたいとう根源的な欲求」(中村雄二郎)であるという。

 河合は、自分と世界を「宇宙論的に濃密な意味をもったものとして」捉え得る事例として臨死体験に触れているが、それは「そのような不思議な意識状態が存在し、その意識にとっては死後生の如きものが認知されたということであって、死後生そのものの存在については」判断を留保すべきであると慎重である。

 本のテーマはもっと広いが、私自身の関心からまとめみた。

JUGEMテーマ:精神世界の本
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