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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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『ダンマの顕現』 
◆『ダンマの顕現―仏道に学ぶ』玉城康四郎 (大蔵出版)  

著者の仏道にかける並々ならぬ思いが伝わる。何かが直接に響いてくる。形なき「いのち」が、著者の全人格体に充溢し、大漠流となって吹き抜けるという。その「いのち」のほんのひとかけが、私にも働きかけて来ているような感覚にとらわれる。 著者に顕現した「いのち」、それへと向かい行く著者の姿勢のすべてが、それに触れる私のたましいをなにがしか浄化してくれるような気がする。  

「ダンマというのはダンマとしか言いようのない、実は言葉では著すことの出来ない、形のない「いのち」そのものです。今日の言葉で言うと、宇宙を貫いている「いのち」そのものです。私も今生きておりますら、命に基づいて生きている。その私の今生きている命そのものに、宇宙を貫いているいのちが通じてくる。だから当然フーッと開かれていく。‥‥その形のない「いのち」そのものが、熱心に禅定に入っている私自身にあらわになる。これが解脱の瞑想です。」  

こんなにも高齢になるまで、没する直前まで、かくも真摯に仏道を求めた人を知り得ただけでも幸せであった。 「男一匹、生涯をかけた仏道は、ついにこの世では成就しないのであろうか、私はいくたび、絶望の淵に突き落とされたことであろう」とまえがきで語る。その仏道にかける情熱がひしひしと伝わり、心を動かされた。 座禅へ取り組む姿勢だけでなく、学問的な研究の情熱にも刺激された。  仏道を、こんなにも真摯に求め、しかも学問的な研究でも大きな成果を残したとは。本の最後の論文を読むと、道元の研究と、道元からの学びの姿勢が一体化しているのが良くわかる。

JUGEMテーマ:精神世界の本
宗教20:43comments(0)trackbacks(0)
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心を生みだす脳のシステム―「私」というミステリー (NHKブックス)
評価:
茂木 健一郎
日本放送出版協会
◆『心を生みだす脳のシステム―「私」というミステリー (NHKブックス)

その面白さに思わず夢中になった。これほどに刺激的な本だったとは!! 刺激的なのは、脳の科学から出発しながら、クオリア(質感)という概念をひき入れる ことで、心の主観性という問題に迫ろうとしているからだ。心という主観性の問題 をごまかさず正面から理解しつつ、なおかつそれを脳のシステムからどう説明でき るかを問うているのだ。  

著者は、脳の科学に足場を置きながら現象学的な問題に一歩足を踏み入れているように見える。フッサール、ハイデガー、メルロ・ポンティなどが探求した主観性と いう哲学的な問題に脳科学の成果を引っさげて果敢に挑戦しているところにこの本 の面白さがある。  

最新の脳科学や認知科学の動向や、そこで問題にされている点について、著者の強烈な問題意識から解説されていて、私自身、この分野への関心が一気に高まって しまった。   
著者は自信をもっていう、「心を生み出す脳のシステムは、単純な機能局在説で は理解できない」、「生化学的な知見や機能局在は、脳というシステムの、いわば 断面図に過ぎない。断面図をいくら集めても、私たちの心を生み出す生きた本質には迫れない」と。 そして、心を生み出すのは、「脳全体にまたがって、1000億のニューロンが作り 上げる、複雑で豊かな関係性」であり、「脳というシステムなのだ」として、脳が 心を生み出すとはっきりと断言する。  

しかし一方では、「ニューロンを一つ一集め、ある関係性を持たせるとなぜそこ に心が宿るのか、その第一原理さえ皆目検討がつかない」と正直に告白し、それは、心がない状態から心を合成する「錬心術」(錬金術のもじり)だとさえ言う。これ だけ脳のニューロンの働きと意識との関係がはっきりしてきていても、では意識は どのようにして成立するのかとう根本的な問題になると、脳科学はハタと行き詰っ てしまうのだ。  

にもかかわらず、あくまでも心はニューロンのシステムから解き明かせるという立場を崩さない。「錬心術」の状態から抜けだすため、地道に脳のシステムと心の要素の対応関係についての探求を続け、一方で新しい発想による心脳問題の展開を待つほかないと言う。  

私に言わせれば、ニューロンのシステムをいくら解明したところで、そこに心が宿るのは不可能だということを原理的に明らかにする道をたどる方がはるかに生産的である。脳科学がここまで発達し、様々な知見が蓄積されている以上、精神世界 に関心を持つものも、その成果を積極的に学びとって、その成果から何が言えるの か、何が言えないのかをはっきりさせるべきだと思った。脳科学の成果を謙虚に学 び、受止めつつ、なお脳科学のどこに原理的な限界や問題があるのかを、真剣に考 え、明らかにしていかなければ、精神世界の探求もある意味で知的怠慢のそしりを まぬかれない。たぶん茂木健一郎の考え方に充分に反論できなければ、魂や輪廻転生の問題について、少なくとも私自身は、納得のいく論は展開できないと感じる。

JUGEMテーマ:精神世界の本
科学と精神世界の接点20:16comments(0)trackbacks(0)
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日本の曖昧力 (PHP新書)
評価:
呉 善花
PHP研究所
(2009-04-15)
◆『日本の曖昧力 (PHP新書) 

拓殖大学での「日本の歴史と文化」という講座の講義内容をまとめたものであるという。講義を元にしているので、内容はわかりやすくコンパクトにまとまっており、呉善花の「日本文化論」へのよき入門書となっている。読んであらためて感じたことは、呉善花の「日本文化論」の視野の広さだ。これまで多くの人々が日本文化の性格や特徴を語ってきたが、彼女の「日本文化論」ほど、ながい歴史的なスパンの中でその特質を論じたものはないのではないかと思う。欧米との比較ではなく、中国や彼女の出身国である韓国と比較することで、日本文化の特色を説得力をもって語ることに成功している。

そして何よりも魅力なのは、日本のポップカルチャーが世界で受け入れられる理由を、縄文文化という歴史の根っこにさかのぼることで見事に解き明かしていることだ。日本のアニメやマンガの魅力をこのような歴史と文化の視点から主張した議論はこれまでなかったように思う。その意味でももっと注目されてよい著者の一人だと思う。

最終章の特別書き下ろし講義「世界的な課題としての『日本風』」を要約しながら本書の内容を紹介しよう。

今、静かな日本ブームが世界的にひろがり、「日本風に恋する」層が着実に拡大している。日本文化は19世紀末から20世紀初頭に、フランス後期印象派絵画など欧米文化に深く広い影響を与えた。それから100年後の現在、日本ブームはいっそう大きな、地球規模での革命を誘発しているのではないかと著者はいう。今世界に広がる、自然環境や伝統的な生活と現代文明との間の軋みに対して、日本風が示す伝統とモダンの調和が注目されるようになっていると思われる。

著者は、日本を体系的に理解するには三つの指標が必要だという。欧米化された日本、中国や韓国と似た農耕アジア的な日本、そして三つ目が、前農耕アジア的(縄文的、自然採集的)日本だ。日本文化と特色は、アジア的農耕社会である弥生時代以前の歴史層に根をもち、それが現在にも生きていることにあるのではないかと著者はいう。

日本の神道は、強烈なものを排除する傾向が強い。強烈な匂いや音、色、血などを嫌い、静かで清浄な雰囲気を好む。その内容はアニミズムであるが、強烈な刺激や生贄の血や騒然たる踊りや音響を好まないという点では、世界のアニミズムとは正反対である。著者はこうした日本のアニミズムの特色を「ソフトアニミズム」と呼ぶ。他のアジア地域では、アニミズムそのものが消えていったが、日本ではソフトな形に変化しながら、信仰とも非信仰ともいいがたい形をとりつつ、近世から現代へ、一般人の間から文化の中央部にいたるまで残っていったのでる。

著者は、かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行を、日本的なソフトアニミズムが世界に受け入れられる普遍性をもっていることの現われだととらえる。劇画やアニメはさらにはっきりと、こどもたちの柔らかなアニミスティックな世界から立ちおこった芸術表現だという。

「いけばな、サイバー・ペット、劇画やアニメなどの世界的な人気は、そうした自然な生命(アニマ)への聖なる感性が、やはり人類すべてに内在し続けていることを物語るものといえるのではないだろうか。現代世界にあって、日本的なソフトアニミズムの感性が多くの人々に迎え入れられることはたしかだと思われる。」

彼女の主張、「日本のポップカルチャーの中のソフトアニミズム的な要素」については、このブログでも機会のあるごとに具体的な事例に即して検証していきたい。

JUGEMテーマ:精神世界の本
文化と歴史16:01comments(1)trackbacks(0)
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脳内現象 (NHKブックス)
評価:
茂木 健一郎
NHK出版
(2004-06-24)
◆『脳内現象 (NHKブックス) 

本書は、同著者の『心を生み出す脳のシステム』(2001年)よりも鮮明に、新しい科学のパラダイムをまさぐるという方向を打ち出しているように見える。近代科学の方法に内包される限界がもっとも先鋭的に浮かび上がるのが、脳と意識の関係問題 においてだろう。近代科学が近代科学であろうとするかぎり、乗り越え不可能と思われるような限界がそこにはある。だからこそ、科学の方法そのものが問われてしまう。 それが心−脳問題だ。

茂木は、この問題に誠実にとどまり続け、そこにどれほど巨大で困難な問題が隠されているかを明らかにしようとする。しかも、脳の研究の最先端の成果を踏まえた上で、意識問題を前にしてのその行き詰まりを語っているのだ。私はそこに強い知的興奮を覚える。

〈私〉が、あるクオリア(質感)を感じている時、そこで起こっていることは、〈私〉 と仮に名づける何らかのプロセスが、そのクオリアを生み出す神経細胞の活動の関係性を見渡している、ということだ。クオリアを感じる主体的体験のありようを素直に脳にあてはめれば、脳の各領域を観察するホムンクルス(こびと)を想定することは、自然な発想である。実際に私たちは、ホムンクルスがいるかのごとき意識の体験をしていることは否定できない。

もちろん、今日、脳のどこにもホムンクルスが隠れていると信じるものはいない。 脳の中に特別な領域があって、そこが他の領域の活動をモニターしているわけではない。では、どのようにして、様々なクオリアを同時並列的に感じている〈私〉という意識が生まれるか。ホムンクルスがいるかのごとき意識体験は、いかに生じるのか。〈私〉は、神経細胞の活動を自ら見渡す「小さな神の視点」として成立している。それを一体「誰が」、「どのような主体が」見渡すのか。

この「小さな神の視点」 がどのように成立するのかは、とてつもない難問題であり、もちろん現時点では未解明であると、茂木は言う。しかし、意識を生み出すのは、脳内の神経細胞の関係性以外にありえない。1000億の神経細胞の相互関係から、あたかもホムンクルスが「小さな神の視点」をもって脳内を見渡しているかのような意識が生み出される、そのメカニズムを解き明かすことが、脳のシステム論の究極の目的であるという。

神経細胞の活動の間の関係性が主観性の枠組み(ホムンクルス)をつくり、ホムンクルスを生み出す神経細胞の活動とクオリアの前段階になるものを生み出す神経細胞の活動が相互作用することによって、「〈私〉が感じるクオリア」」が生み出される。このような、関係と関係の間の相互作用を通して生まれるさらなる関係性が、人間の意識をささえ、人間の意識のあらゆるところに現われるメタ認知を支えている、という。 以上のように、茂木はあくまでも神経細胞の相互作用から〈私〉という意識が生み出されるメカニズムを解き明かすという野心を捨てていない。

しかし、神経細胞の関係性は、いくら精緻に関係性のネットワークを解明したにせよ、所詮はニューロ ン相互の物質的な過程にすぎない。そこから〈私〉の主体的な体験を説明するには、 どこかで原理的な飛躍をする必要がある。〈私〉=主観性は、科学が科学として自立するためにこそ、故意に忘れ去ったものである。だからこそ、それを問うためには、科学そのものの前提を再検討しなければならない。物質還元主義という近代科学そのもののパラダイムが問い直されなければならない。

もちろん常識的な物心二元論も問題の解決にはならないだろう。両者を包み込むような新しい世界観でないかりぎ、この問題を説明することは困難であろう。 あくまでも脳研究の最新の成果を踏まえつつ、この問題に向き合い続ける茂木には敬意を表したい。そして安易な解決の道を探るよりも、この問題の根源性を根源性 として明らかにする方向で探求していってほしい。
科学と精神世界の接点23:31comments(0)trackbacks(0)
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進化しすぎた脳 (ブル-バックス)
評価:
池谷 裕二
講談社
(2007-01-19)
◆『進化しすぎた脳 (ブル-バックス)

たいへん分かりやすく、しかも興味深く大脳生理学を学ぶことのできる素晴らしい入門書だ。8人の中高生に対する講義、それも一方的なものではなく、質問や応答をふんだんに交えた形で進められていく。しかもレベルは落とされていない。最先端の研究や脳と心とに関係する哲学的な問題にまで踏み込んで語られており、ひょっとしたら先に紹介した『脳の中の幽霊』より、読みやすさ、面白さという点ではこちらの方が上かな、と思う。

『脳の中の幽霊』と共通の話題もいつか取り上げられており、しかもごく初歩的な知識に触れながら語っている。 私自身が、まだ大脳生理学についての基本的な知識が欠けているので、こちらを先に読んでいれば『脳の中の幽霊』がもっと読みやすかっただろう。最近の脳科学の成果 をも含めた脳の入門書として、第一にすすめるべき本かもしれない。

最初から「ネズミをラジコンにしてしまった」という興味深い話題が出てくる。元になっているのは2002年に『ネイチャー』誌に載った科学論文であり、最先端の研究だ。生きたネズミの脳に電極を刺して、脳を電気刺激することで行動をコントロールした実験である。具体的には、ヒゲを感じる脳部位に刺激を与える。右脳のヒゲの場所を刺激すると左のヒゲが触られたと感じる(脳の右半球は身体の左を制御しているから)。左のヒゲ を触られたと感じたネズミが左に動くと、「報酬系」が刺激されるようなリモコンを作っておく。「報酬系」という脳の部位は、電流が流れて刺激されると強い快感を感じる系である。 自分でその系に電流を流すレバーを押すことを学習したネズミは、水も飲まず餌も食べず死ぬまでレバーを押し続けるという。ヒゲが触られたと感じた方向に移動すると 「報酬系」が刺激されて快楽を感じることを知ってしまったネズミは、「ラジコン」で左右のヒゲに対応する脳の部位を刺激される毎にそちらの方向へ移動する。ネズミにとってどんなに危険な場所へでも動いていくという。

そこで問題は、このネズミ・ロボットの実験が原理的に人間にも可能であり、同じような装置で自分の脳が脳科学者にコントロールされ、自分の意志とは関係なく体が動いたら、それは自分なのか、というこどだ。。こういう刺激的な話題が随所に散りばめられていながら、脳科学の基本を確認しつつ読みすすめることができる。

初心者の私にとって圧巻だったのは、「しびれるくらい美しいメカニズム」と言われる、神経細胞の精緻な相互活動の法則(ヘブの法則)とその前後の説明だった。神経やシナプスという最小ユニットの基礎的なメカニズムの話題も詳しくわかりやすいが、さらにその「相互作用」の重要性、互いに連絡を取り合うときの、そのつながりや強度、神経ネットワークの「形」というファクター、さらにその相互の結びつきを誘導する分子メカニ ズムの研究という話題にまで及ぶ。もう一度しっかり読んでノートしておきたい部分だっ た。

この本が刺激に満ちている背景には、「‥‥脳を理解しようなんて、そもそも傲慢でおこ がましいチャレンジだと僕は感じ始めている。‥‥人間ってこんなにも素敵な存在なんだから、人間の脳がそんなに簡単にわかってたまるかってね」という著者の謙虚さが横たわっているような気がする

JUGEMテーマ:精神世界の本
科学と精神世界の接点14:15comments(0)trackbacks(0)
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やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方
評価:
アン・ワイザー コーネル
◆『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方

フォーカシングとは、「からだを使って、自分の気づきを促し、こころを癒していく」現代心理療法のエッセンスを凝縮した方法だという。 ジェンドリンが、カウンセリングの成功例を研究しているときに、成功事例にはクライエ ントの側にある共通の特徴があることを発見した。それはクライエントが、面接のどこかで「話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始め」るということ。自分の内側の「心とも身体ともつかない曖昧な漠然とした感じ」を確かめるように話していたのである。 この「内面の曖昧な感じに触れる」という内的な体験のプロセスをジェンドリンは、フォ ーカシングと名づけた。

このブログでも紹介した『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の著者、トールは、 「自分の感情を知るのが難しいなら、からだの内面にあるエネルギー場に、意識を集中させてみましょう。からだを内面から感じるのです。これで自分の感情を感じることができるはずです」 といっている。

トールも、からだの内への気づきを重視しているのだが、フォーカシングは、それを誰もがいつでもできる取り組みやすい技法(わざ)として方法を確立した。心理療法から生まれでた、こうした細やかに洗練された方法を利用しない手はない。

「フォーカシングは、からだとの信頼関係を結んで、からだの気づきを通して、この自分自身の豊かな部分が伝えてくれる智恵に耳を傾けられるようにしてくれます。フォーカシングは、からだが大声で叫び出す前に、ささやいているうちに、そのささやきを聴けるようにしてくれます。フォーカシングは、内なる正しさの感覚にかなうよう、人生を変えていきます。」  

その変化は、おだやかでゆっくりしたものであるようだ。  

ヴィパッサナー瞑想も一瞬一瞬の体内感覚への気づきを重視するが、あわせてフォーカシングを学ぶことは、体験を深めるのに役立つのではないかと思う。  

自分のからだを観察して、何か感じをつかんだら、その感じをただそのままそこに置いておく。自分で判断を下したり、自分の感情を回避したり、なぜそう感じるのかを突きとめよ うとしても、結局同じところにとどまるか、もっと嫌な気分になるかだろう。  

「あなたの感情をあるがままに置いておくことができたなら、その時こそ、感じが変わるのです。変えようとすると、変わらないのです。」  

誰がやってもそれを感じ取り、意識の光にもたらす、つまりあるがままに置いておくおくことができるよう、ひとつひとつステップを踏んで進んでいけるよう、工夫されている。 私も、自分ひとりでいつでもどこでもできるフォーカシングの方法をぜひ学びたいと思っ た。文章はやさしく、説明はかゆいところに手が届くような細やかさだ。      
JUGEMテーマ:精神世界の本
セラピー・ヒーリング09:56comments(0)trackbacks(0)
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代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)
◆『代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)

まず、1960年代半ばから1970年代に北アメリカを中心に起こったカウンター・カルチャ ー(対抗文化)から説き起こし、代替医療の成立を解説している。

対抗文化は、大量採取、大量生産、大量消費、大量廃棄に支えられた現代文明を批判し、 よりエコロジカルな文明を提起した。その中でつぎつぎ具体化された各種の代案に共通する思想が「オルタナティブ」であった。

医療・健康の分野では、還元主義的な現代医学や心理学にたいするオルタナティブとして、 ホリスティック医学運動がさかんになり、代替医療も、ありうべき代替文明の一翼を担うものとして、その中から生まれてきた。

生体にとってそれなりの理由があって表面に出ている症状(適応プロセス)を、現代医学 は無理やり抑圧し、さらに健康な組織や細胞にもダメージを与えてしまう。これに対し代替医療の多くは生命エネルギー場の歪みそのものに働きかけ、それを正すことによって結果的に症状を取り去る。それゆれ代替医療に真剣に取り組むことは、「いのち」そのものに真剣とりくみ、自己や森羅万象とのつながりに取り組むことになるという。

そんな広い視野から代替医療を振り返ったのが本書だ。

最後に紹介されている柳原和子氏の『がん患者学』の内容にはとくに印象に残った。ノン フィクション作家が卵巣がんの宣告を受けた後、現代医学の治療を受けながらも代替医療を 徹底的に取り入れ、みごとに生還をとげた話だ。 がんを生んでしまったこれまでの暮らしとは「反対の暮らし」に」徹し、「徹底して自分の体内に蓄積したであろう化学物質を排泄し、全身の機能をいかに高めるか」をテーマにし たという。食生活の根本的な改変。イメージ療法。郭林気功、樹林気功、登山、祈り等々。

その結果は、驚きと発見に充ちたものだったようだ。数十センチの便が一日四回も出たとうすさまじい便通の変化。肥満、肩凝り、偏頭痛などの解消。心理面では、日常的にあった苛立ちが一切消えたこと。自然やいのち、周囲の人々への敬意と感謝。

たとえ、健康な人間であろうと食生活を含めた生活のあり方の改変がいかに大切かとこうことを感じ、私も食生活を変え、気功を真剣にやろうと思った。

JUGEMテーマ:代替医療全般
セラピー・ヒーリング22:35comments(0)trackbacks(0)
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日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント
◆『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント

竹村氏は、国土交通省の河川局長を勤めた人。石油や水、森林や河川などの下部構造から日本の文化や歴史を洞察し、ユニークな視点からの日本文明論を展開する。この本の前に読んだ、養老猛・竹村広太郎著『 本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546) 』が、きわめて興味深かったので、続けてこの本も読むことにした。まったく期待を裏切らなかった。新鮮な視点から多くを学ぶことができた。

本書は、雑誌に掲載された15の論文からなるが、そのうちとくに興味深かったものを取り上げよう。まずは第7章「ローマ街道から見る日本」だ。ローマの昔から道路ネットワークの発達した西欧では、蒸気機関が登場したと同時に、車の動力としてそれに注目した。馬車から自動車へは当然の流れであった。しかし日本は、歴史の経過の中で牛車も馬車も姿を消し、車の移動を可能にするような道路そのものが発達しなかった。その理由は何か。中国から牛車や馬車が入ってくると同時に、その動力である牛や馬の去勢技術も入ってきた。しかし家畜を家族の一員のように扱う日本では、牛馬の去勢が徹底しなかった。去勢していない牛馬は、時々暴走がありきわめて危険なのである。江戸幕府も人が車に乗るのを禁止したが、それは車の発達が社会を発展させ幕藩体制を不安定にするからではなく、たんに牛車、馬車が危険だっからではないのか、というのが著者の見解である。

第8章「ローマ衰亡から見る命の水道」も、著者独自の発見に満ちている。ローマ帝国衰亡の原因が水道の鉛毒だったという説がある。『ローマ人の物語』の塩野七生は、この説に否定的だが、ただひとつだけ確実なことは、原因が何であれローマ人が弱くなり、その結果ローマ帝国が衰亡したのは確実だと著者はいう。著者は、「水道の鉛害」説も充分可能性があると考えているようだ。ここまでを導入とし、論文は「日本人も水によって命を脅かされたことがあった」という予想外のテーマを展開する。まず大正10年頃に、それまでむしろ微増していた日本の乳児死亡数が急激に低下しはじめ、それと同時に日本人の平均寿命が劇的に伸びていく。その原因が何かということが思わぬところから明らかになっていくのだ。話は大正8年のシベリア出兵とも深く関係している。この論文には、謎解きの面白さもあるので、あえて答えに言及するのは控えよう。ひとつだけ付け加えれば、水道普及の初期のころは、水道が普及すればするほどむしろ乳児死亡率は増加していたのだ。では大正10年以降、何が起ったのか。ぜひ本を読んでいただければと思う。

それでも、乳児死亡数の急減の理由をぜひ知りたいという方には、私の別ブログでこの件をクイズ形式にしたものがあるのでそちらをご覧いただきたい。

乳児死亡数の激減

乳児死亡数の激減(2)

ともあれ本書は、ユニークな洞察と発見、時には謎解きの面白さに満ちており、読んで興味尽きない。
文化と歴史15:09comments(0)trackbacks(0)
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この世とあの世の風通し―精神科医加藤清は語る
評価:
加藤 清,上野 圭一
◆『この世とあの世の風通し―精神科医加藤清は語る

加藤清は、日本の精神医学界に大きな影響を与えた精神科医だ。国立京都病院に精神科を設立し、その医長となり、精神病理・精神療法学会、芸術療法学会などの設立などにも貢献している。また、精神医学会の多くの指導者やセラピストを育てた。他に『癒しの森―心理療法と宗教』、『霊性の時代―これからの精神のかたち』などの著書がある。

この本は、翻訳家かつ鍼灸師である上野圭一が聞き手となって、加藤清の深遠な思想の一端を語ってもらうという試みだ。読み始めて思わず夢中になった。 内容は、「精神医学への道」と「魂の深層からの癒し」とに分かれ、医学者になるまでや治療の現場での様々なエピソードを中心に語られており、きわめて平易で興味深い。日本の精神医学界の指導的な立場にいる人物が、これほどに「この世とあの世の風通し」を持ち、しかも魂の真の癒しを求めて「あの世」に通じる精神を治療の根本にすえている事実は、感嘆にあたいする。

幼いころから「この世とあの世とがツーカーになっていた」という加藤清は、精神医学的な治療の現場でカルマの問題に突き当たると、信頼できる霊能者の協力すらえている。にもかかわらず、ターミナルケアについての次の言葉は示唆的だ。 「ターミナルケアに一番必要なのは、治療者が本当に落ち着くことだ。魂や、死後の世界ということは、あまり強調しなくてもいい。自分が深く深く落ち着いた状態 で、死んでいく人に向かえばいいのです。そうすると、人間というのはどこかでお互いに落ち着いていくことを求め合っているから、相手も安心する。」

すでに取り上げた『彼岸の時間』のあとにこの本を読んだのは偶然だが、取り上げられているトピックスにサイケデリックスや沖縄のシャーマンなど、重なりが多く興味深かった。

彼は、スイスの某社からLSDの効果研究を依頼されて治療研究だけでなく自分も 試している。自身のLSD体験や、LSDによる治療例が語られていて、これがまた興味深い。 サイケデリック心理療法が、いかに生と死という魂の根源からの治癒を促すかとい うことを認識させられた。また、そこで生と死の根源に触れている精神科医の援助がいかに大きな意味をもつかも、具体的な事例から知ることができた。

サイケデリックスは、人間の究極的関心である根源的リアリティーへの志向を活性 化するとする点は、蛭川立の主張と同じだと思った。  

JUGEMテーマ:精神世界の本
セラピー・ヒーリング14:50comments(0)trackbacks(0)
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生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み
評価:
グレン ウィリストン,ジュディス ジョンストン
◆『生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み

これまでに読んだ退行催眠による過去生の探求や、いわゆる「前世療法」を扱った本に比べると、実証的な姿勢がある点がよい。クライエントが語った過去生の記憶を実証的に確認した結果をある程度語っているのだ。ただ全訳ではないので、もっと実証的な部分は翻訳では省略されているかも知れない。少なくとも、いくつか挙げられた事例から判断して、実証的に確認できる事例を、著者がかなり持ってい るようだということは分かる。

一例を挙げよう。アメリカ人である女性が、アレックス・ヘンドリーという男性として19世紀後半のスコットランドに暮らしていた人生を語った。アレックスは、肉体的なハンディキャップを克服し、エディンバラ大学で医学を修めた。その生き生きとした大学生活の描写は、証明可能な二つの事実を含んでい た。

ひとつは家族がハンプシャーに住んでいたこと。もうひとつは、彼が1878年に医学校を卒業したことだった。こうした100年以上前のスコットランドの一無名人の情報を、クライエントが入手できたはずはないが、勉強のたいへんさや、家族からのプレッシャーを語る彼女の描写は真実味が溢れていたという。

著者はその後、エディンバラ大学に問い合わせて返事を受け取った。「アレクサンダー・ヘンドリー。スコットランド、バンプシャー郡カラン出身。1878年、医学士過程及び修士課程終了。」

この本でも改めて確認したのは、クライエントが過去生で死ぬ場面を語る描写が、臨死体験者の報告とほとんど同じだということだ。これは驚嘆に値する。体外離脱、上から自分の肉体を見る、愛を発散する光に包まれる等々。これも具体例を示そう。

「自分の遺体が見えます。自分の体を、見下ろしているんです。暴徒たちは、その遺体に覆いかぶさるように立っています。ひとりの男が、足で私の遺体をひっくり返して、何かぶつぶつほかの人たちに話しかけています。遺体を運び去ろうとしているんです。もう、自分の肉体にとどまりたいとは思いません。自由になったんです。そして光が‥‥‥とっても感じのいい光です。安らかな気持ちにさせてくれ ます‥‥‥恐怖も苦痛も消えました。私は自由になったんです。」

もちろんこれは退行催眠で過去生での死とそれに続く場面を思い出しているのだが、臨死体験についてある程度知る人なら誰でも、両者の驚くほどの類似性を認めるだろう。

著者は言う、「退行したクライアントがどんな宗教を信じていようと、過去生での死の体験は、みな驚くほどそっくりである。死とは移行の瞬間であり、平和と美と自由の瞬間である。着古してくたびれた衣装を脱ぎ捨てて、新しくもあり、またふるさとのように馴染みある世界へと、踏み込んでいく瞬間なのである。」

多くのクライアントが繰り返し語る死の特徴は、「身の軽さ、浮遊感、自由さ」だというが、これはまた、多くの臨死体験者が繰り返し語る特徴でもあるのだ。

臨死体験の報告と一つだけ相違する部分があるとすれば、退行催眠ではトンネル体験を語るものは、ほとんどいないらしいということだ。

それにしてもきわめて高い共通性があるのは確かで、今後しっかりとした統計的な比較研究をする必要があると思う。これほど臨死体験が知れ渡っている以上、ほとんどのクライエントはその内容を知っているだろうから、たんに共通性が高いだけでは、あまり意味をなさない。細部に渡る比較研究のなかで、この共通性が積極的な主張につながるかどうかを検討しなければならない。

クライエントが語る「中間生」、時空のない世界の描写にも、臨死体験の報告と高い共通性がある。「宇宙を満たす感触、すべての生物を包み込む感触、見えるものも見えないものも含めたすべてのものの真髄に触れる感触、あらゆる知識に同化して文化の制限を超えた真実に目覚める感触、それが、中間生である。」

悟りにも似た精神変容を遂げる臨死体験者も、同様の世界に触れた体験を語ることは、『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』の読者なら、容易に理解してくれるだろう。

中間生の描写は、別項で取り上げた『魂との対話』での「魂」のあり方とも非常によく似ている。「魂」は、それ自体、時間による制限を受けず、時間の外側に存在している。「魂」の視野は広大で、その知覚はパーソナリティー(個々の人生を生きる自己)のもつ限界を超越している。パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させることで「魂」に近づく。  

退行催眠は、クライアントが療法家の世界観の影響を無意識に受けやすいという面があるかも知れない。そうした点に充分慎重である必要はあるが、著者が豊富な臨床例から解明した「人生の仕組み」を参考にして見る価値は充分にあると思った。人生という名の学校で、私たちは、繰り返し学び続けているのだという「仕組み」 を。

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