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評価:
岸田 秀,小滝 透
春秋社
(2002-03)
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◆岸田秀+小滝透『
アメリカの正義病・イスラムの原理病―一神教の病理を読み解く 』(春秋社)
2001年9月11日の同時多発テロ事件のあとに行われた対談である。発行は2002年3月。小滝透は、イスラム世界やイスラム教の精通した評論家だという。精神分析を国家やその歴史、国家間の闘争に応用する岸田の考察については、すでにあちこちで読んでいるが、この本は、イスラム世界にそれを応用して興味深い。
小滝透は、サウジアラビアに留学し、イスラム教徒として生活した経験ももち、イスラム教の世界を内側から経験している。イスラム世界の歴史や現況については、西欧世界に比べるとどうしても知識や情報が少なくなる。私もそうなのだが、小滝の豊富な体験と知識は、いきいきとイスラム世界を描き出し、始めて知る知識も多く、イスラム世界の一面について理解を深めることができた。そのためだけでも、この対談は充分に読む価値があるだろう。小滝は、イスラム世界のトラウマを十字軍に見て、その後の歴史の動きを説明する。そのときもちろん基本的には岸田理論が適用される。
イスラム社会が、私たちが想像するよりもはるかにイスラム教に強く拘束されて、ある意味で柔軟性を失っていることを小滝の話から強く感じた。
たとえば、近代社会では「思想信条の自由」があるが、イスラム法ではない。たとえば棄教が証明されると、イスラム法では背教規定が適用されて死刑になるという。小滝自身が、サウジアラビア留学時にイスラム教徒になったが、今は違う。『悪魔の詩』の翻訳者が、筑波大学で何者かに殺されたが、そのあと小滝に何者から電話があり、「ユー・ウィル・ビー・ネクスト」と脅迫されたという。『悪魔の詩』のスウェーデンとイタリアの翻訳者も次々殺された。しかも一部の過激分子の犯行ではなく、ホメーニーの宗教布告が基になっているらしい。
イスラム社会は、近代化そのものがきわめて難しいという。宗教的戒律を社会規範化して成り立っている文明だから、社会規範を改変して西欧化することが難しい。神の与えたものとして神聖視される社会規範は、かんたんには変えられない。女子教育や女子労働にも一般に否定的で、その結果、一定以上の知的水準をもた労働力を女性から調達することが困難になる。つまり人口の半分を動員できない。女性や食べ物に対する禁忌は、彼らの文化の根幹にかかわる問題であり、あまりにタブーが多いことが近代化の妨げになるようだ。
宗教的戒律が社会規範として文化の根幹に食い込んでおり、それらを改変して社会を変革していくことが、きわめて困難な宗教−社会的な構造があるようだ。宗教的な拘束によって社会の土台が、しっかりと固定されているような印象を受けた。だとすれば、イスラム社会と西欧社会の対立の構図もまた、なかなか変わらないということか。