|
評価:
茂木 健一郎
NHK出版
(2004-06-24)
|
◆『
脳内現象 (NHKブックス) 』
本書は、同著者の『心を生み出す脳のシステム』(2001年)よりも鮮明に、新しい科学のパラダイムをまさぐるという方向を打ち出しているように見える。近代科学の方法に内包される限界がもっとも先鋭的に浮かび上がるのが、脳と意識の関係問題 においてだろう。近代科学が近代科学であろうとするかぎり、乗り越え不可能と思われるような限界がそこにはある。だからこそ、科学の方法そのものが問われてしまう。 それが心−脳問題だ。
茂木は、この問題に誠実にとどまり続け、そこにどれほど巨大で困難な問題が隠されているかを明らかにしようとする。しかも、脳の研究の最先端の成果を踏まえた上で、意識問題を前にしてのその行き詰まりを語っているのだ。私はそこに強い知的興奮を覚える。
〈私〉が、あるクオリア(質感)を感じている時、そこで起こっていることは、〈私〉 と仮に名づける何らかのプロセスが、そのクオリアを生み出す神経細胞の活動の関係性を見渡している、ということだ。クオリアを感じる主体的体験のありようを素直に脳にあてはめれば、脳の各領域を観察するホムンクルス(こびと)を想定することは、自然な発想である。実際に私たちは、ホムンクルスがいるかのごとき意識の体験をしていることは否定できない。
もちろん、今日、脳のどこにもホムンクルスが隠れていると信じるものはいない。 脳の中に特別な領域があって、そこが他の領域の活動をモニターしているわけではない。では、どのようにして、様々なクオリアを同時並列的に感じている〈私〉という意識が生まれるか。ホムンクルスがいるかのごとき意識体験は、いかに生じるのか。〈私〉は、神経細胞の活動を自ら見渡す「小さな神の視点」として成立している。それを一体「誰が」、「どのような主体が」見渡すのか。
この「小さな神の視点」 がどのように成立するのかは、とてつもない難問題であり、もちろん現時点では未解明であると、茂木は言う。しかし、意識を生み出すのは、脳内の神経細胞の関係性以外にありえない。1000億の神経細胞の相互関係から、あたかもホムンクルスが「小さな神の視点」をもって脳内を見渡しているかのような意識が生み出される、そのメカニズムを解き明かすことが、脳のシステム論の究極の目的であるという。
神経細胞の活動の間の関係性が主観性の枠組み(ホムンクルス)をつくり、ホムンクルスを生み出す神経細胞の活動とクオリアの前段階になるものを生み出す神経細胞の活動が相互作用することによって、「〈私〉が感じるクオリア」」が生み出される。このような、関係と関係の間の相互作用を通して生まれるさらなる関係性が、人間の意識をささえ、人間の意識のあらゆるところに現われるメタ認知を支えている、という。 以上のように、茂木はあくまでも神経細胞の相互作用から〈私〉という意識が生み出されるメカニズムを解き明かすという野心を捨てていない。
しかし、神経細胞の関係性は、いくら精緻に関係性のネットワークを解明したにせよ、所詮はニューロ ン相互の物質的な過程にすぎない。そこから〈私〉の主体的な体験を説明するには、 どこかで原理的な飛躍をする必要がある。〈私〉=主観性は、科学が科学として自立するためにこそ、故意に忘れ去ったものである。だからこそ、それを問うためには、科学そのものの前提を再検討しなければならない。物質還元主義という近代科学そのもののパラダイムが問い直されなければならない。
もちろん常識的な物心二元論も問題の解決にはならないだろう。両者を包み込むような新しい世界観でないかりぎ、この問題を説明することは困難であろう。 あくまでも脳研究の最新の成果を踏まえつつ、この問題に向き合い続ける茂木には敬意を表したい。そして安易な解決の道を探るよりも、この問題の根源性を根源性 として明らかにする方向で探求していってほしい。