● 自己紹介
● 日記の分類−目次−


● 最近の日記
● 過去の日記【月別】
● 最近のコメント
● 最近のトラックバック
●リンク
関連リンク
★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
● 携帯用CODE
qrcode
● その他

03
--
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
| 1 / 1 pages |
tape
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
tape
進化しすぎた脳 (ブル-バックス)
評価:
池谷 裕二
講談社
(2007-01-19)
◆『進化しすぎた脳 (ブル-バックス)

たいへん分かりやすく、しかも興味深く大脳生理学を学ぶことのできる素晴らしい入門書だ。8人の中高生に対する講義、それも一方的なものではなく、質問や応答をふんだんに交えた形で進められていく。しかもレベルは落とされていない。最先端の研究や脳と心とに関係する哲学的な問題にまで踏み込んで語られており、ひょっとしたら先に紹介した『脳の中の幽霊』より、読みやすさ、面白さという点ではこちらの方が上かな、と思う。

『脳の中の幽霊』と共通の話題もいつか取り上げられており、しかもごく初歩的な知識に触れながら語っている。 私自身が、まだ大脳生理学についての基本的な知識が欠けているので、こちらを先に読んでいれば『脳の中の幽霊』がもっと読みやすかっただろう。最近の脳科学の成果 をも含めた脳の入門書として、第一にすすめるべき本かもしれない。

最初から「ネズミをラジコンにしてしまった」という興味深い話題が出てくる。元になっているのは2002年に『ネイチャー』誌に載った科学論文であり、最先端の研究だ。生きたネズミの脳に電極を刺して、脳を電気刺激することで行動をコントロールした実験である。具体的には、ヒゲを感じる脳部位に刺激を与える。右脳のヒゲの場所を刺激すると左のヒゲが触られたと感じる(脳の右半球は身体の左を制御しているから)。左のヒゲ を触られたと感じたネズミが左に動くと、「報酬系」が刺激されるようなリモコンを作っておく。「報酬系」という脳の部位は、電流が流れて刺激されると強い快感を感じる系である。 自分でその系に電流を流すレバーを押すことを学習したネズミは、水も飲まず餌も食べず死ぬまでレバーを押し続けるという。ヒゲが触られたと感じた方向に移動すると 「報酬系」が刺激されて快楽を感じることを知ってしまったネズミは、「ラジコン」で左右のヒゲに対応する脳の部位を刺激される毎にそちらの方向へ移動する。ネズミにとってどんなに危険な場所へでも動いていくという。

そこで問題は、このネズミ・ロボットの実験が原理的に人間にも可能であり、同じような装置で自分の脳が脳科学者にコントロールされ、自分の意志とは関係なく体が動いたら、それは自分なのか、というこどだ。。こういう刺激的な話題が随所に散りばめられていながら、脳科学の基本を確認しつつ読みすすめることができる。

初心者の私にとって圧巻だったのは、「しびれるくらい美しいメカニズム」と言われる、神経細胞の精緻な相互活動の法則(ヘブの法則)とその前後の説明だった。神経やシナプスという最小ユニットの基礎的なメカニズムの話題も詳しくわかりやすいが、さらにその「相互作用」の重要性、互いに連絡を取り合うときの、そのつながりや強度、神経ネットワークの「形」というファクター、さらにその相互の結びつきを誘導する分子メカニ ズムの研究という話題にまで及ぶ。もう一度しっかり読んでノートしておきたい部分だっ た。

この本が刺激に満ちている背景には、「‥‥脳を理解しようなんて、そもそも傲慢でおこ がましいチャレンジだと僕は感じ始めている。‥‥人間ってこんなにも素敵な存在なんだから、人間の脳がそんなに簡単にわかってたまるかってね」という著者の謙虚さが横たわっているような気がする

JUGEMテーマ:精神世界の本
科学と精神世界の接点14:15comments(0)trackbacks(0)
tape
やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方
評価:
アン・ワイザー コーネル
◆『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方

フォーカシングとは、「からだを使って、自分の気づきを促し、こころを癒していく」現代心理療法のエッセンスを凝縮した方法だという。 ジェンドリンが、カウンセリングの成功例を研究しているときに、成功事例にはクライエ ントの側にある共通の特徴があることを発見した。それはクライエントが、面接のどこかで「話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始め」るということ。自分の内側の「心とも身体ともつかない曖昧な漠然とした感じ」を確かめるように話していたのである。 この「内面の曖昧な感じに触れる」という内的な体験のプロセスをジェンドリンは、フォ ーカシングと名づけた。

このブログでも紹介した『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の著者、トールは、 「自分の感情を知るのが難しいなら、からだの内面にあるエネルギー場に、意識を集中させてみましょう。からだを内面から感じるのです。これで自分の感情を感じることができるはずです」 といっている。

トールも、からだの内への気づきを重視しているのだが、フォーカシングは、それを誰もがいつでもできる取り組みやすい技法(わざ)として方法を確立した。心理療法から生まれでた、こうした細やかに洗練された方法を利用しない手はない。

「フォーカシングは、からだとの信頼関係を結んで、からだの気づきを通して、この自分自身の豊かな部分が伝えてくれる智恵に耳を傾けられるようにしてくれます。フォーカシングは、からだが大声で叫び出す前に、ささやいているうちに、そのささやきを聴けるようにしてくれます。フォーカシングは、内なる正しさの感覚にかなうよう、人生を変えていきます。」  

その変化は、おだやかでゆっくりしたものであるようだ。  

ヴィパッサナー瞑想も一瞬一瞬の体内感覚への気づきを重視するが、あわせてフォーカシングを学ぶことは、体験を深めるのに役立つのではないかと思う。  

自分のからだを観察して、何か感じをつかんだら、その感じをただそのままそこに置いておく。自分で判断を下したり、自分の感情を回避したり、なぜそう感じるのかを突きとめよ うとしても、結局同じところにとどまるか、もっと嫌な気分になるかだろう。  

「あなたの感情をあるがままに置いておくことができたなら、その時こそ、感じが変わるのです。変えようとすると、変わらないのです。」  

誰がやってもそれを感じ取り、意識の光にもたらす、つまりあるがままに置いておくおくことができるよう、ひとつひとつステップを踏んで進んでいけるよう、工夫されている。 私も、自分ひとりでいつでもどこでもできるフォーカシングの方法をぜひ学びたいと思っ た。文章はやさしく、説明はかゆいところに手が届くような細やかさだ。      
JUGEMテーマ:精神世界の本
セラピー・ヒーリング09:56comments(0)trackbacks(0)
tape
代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)
◆『代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)

まず、1960年代半ばから1970年代に北アメリカを中心に起こったカウンター・カルチャ ー(対抗文化)から説き起こし、代替医療の成立を解説している。

対抗文化は、大量採取、大量生産、大量消費、大量廃棄に支えられた現代文明を批判し、 よりエコロジカルな文明を提起した。その中でつぎつぎ具体化された各種の代案に共通する思想が「オルタナティブ」であった。

医療・健康の分野では、還元主義的な現代医学や心理学にたいするオルタナティブとして、 ホリスティック医学運動がさかんになり、代替医療も、ありうべき代替文明の一翼を担うものとして、その中から生まれてきた。

生体にとってそれなりの理由があって表面に出ている症状(適応プロセス)を、現代医学 は無理やり抑圧し、さらに健康な組織や細胞にもダメージを与えてしまう。これに対し代替医療の多くは生命エネルギー場の歪みそのものに働きかけ、それを正すことによって結果的に症状を取り去る。それゆれ代替医療に真剣に取り組むことは、「いのち」そのものに真剣とりくみ、自己や森羅万象とのつながりに取り組むことになるという。

そんな広い視野から代替医療を振り返ったのが本書だ。

最後に紹介されている柳原和子氏の『がん患者学』の内容にはとくに印象に残った。ノン フィクション作家が卵巣がんの宣告を受けた後、現代医学の治療を受けながらも代替医療を 徹底的に取り入れ、みごとに生還をとげた話だ。 がんを生んでしまったこれまでの暮らしとは「反対の暮らし」に」徹し、「徹底して自分の体内に蓄積したであろう化学物質を排泄し、全身の機能をいかに高めるか」をテーマにし たという。食生活の根本的な改変。イメージ療法。郭林気功、樹林気功、登山、祈り等々。

その結果は、驚きと発見に充ちたものだったようだ。数十センチの便が一日四回も出たとうすさまじい便通の変化。肥満、肩凝り、偏頭痛などの解消。心理面では、日常的にあった苛立ちが一切消えたこと。自然やいのち、周囲の人々への敬意と感謝。

たとえ、健康な人間であろうと食生活を含めた生活のあり方の改変がいかに大切かとこうことを感じ、私も食生活を変え、気功を真剣にやろうと思った。

JUGEMテーマ:代替医療全般
セラピー・ヒーリング22:35comments(0)trackbacks(0)
tape
日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント
◆『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント

竹村氏は、国土交通省の河川局長を勤めた人。石油や水、森林や河川などの下部構造から日本の文化や歴史を洞察し、ユニークな視点からの日本文明論を展開する。この本の前に読んだ、養老猛・竹村広太郎著『 本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546) 』が、きわめて興味深かったので、続けてこの本も読むことにした。まったく期待を裏切らなかった。新鮮な視点から多くを学ぶことができた。

本書は、雑誌に掲載された15の論文からなるが、そのうちとくに興味深かったものを取り上げよう。まずは第7章「ローマ街道から見る日本」だ。ローマの昔から道路ネットワークの発達した西欧では、蒸気機関が登場したと同時に、車の動力としてそれに注目した。馬車から自動車へは当然の流れであった。しかし日本は、歴史の経過の中で牛車も馬車も姿を消し、車の移動を可能にするような道路そのものが発達しなかった。その理由は何か。中国から牛車や馬車が入ってくると同時に、その動力である牛や馬の去勢技術も入ってきた。しかし家畜を家族の一員のように扱う日本では、牛馬の去勢が徹底しなかった。去勢していない牛馬は、時々暴走がありきわめて危険なのである。江戸幕府も人が車に乗るのを禁止したが、それは車の発達が社会を発展させ幕藩体制を不安定にするからではなく、たんに牛車、馬車が危険だっからではないのか、というのが著者の見解である。

第8章「ローマ衰亡から見る命の水道」も、著者独自の発見に満ちている。ローマ帝国衰亡の原因が水道の鉛毒だったという説がある。『ローマ人の物語』の塩野七生は、この説に否定的だが、ただひとつだけ確実なことは、原因が何であれローマ人が弱くなり、その結果ローマ帝国が衰亡したのは確実だと著者はいう。著者は、「水道の鉛害」説も充分可能性があると考えているようだ。ここまでを導入とし、論文は「日本人も水によって命を脅かされたことがあった」という予想外のテーマを展開する。まず大正10年頃に、それまでむしろ微増していた日本の乳児死亡数が急激に低下しはじめ、それと同時に日本人の平均寿命が劇的に伸びていく。その原因が何かということが思わぬところから明らかになっていくのだ。話は大正8年のシベリア出兵とも深く関係している。この論文には、謎解きの面白さもあるので、あえて答えに言及するのは控えよう。ひとつだけ付け加えれば、水道普及の初期のころは、水道が普及すればするほどむしろ乳児死亡率は増加していたのだ。では大正10年以降、何が起ったのか。ぜひ本を読んでいただければと思う。

それでも、乳児死亡数の急減の理由をぜひ知りたいという方には、私の別ブログでこの件をクイズ形式にしたものがあるのでそちらをご覧いただきたい。

乳児死亡数の激減

乳児死亡数の激減(2)

ともあれ本書は、ユニークな洞察と発見、時には謎解きの面白さに満ちており、読んで興味尽きない。
文化と歴史15:09comments(0)trackbacks(0)
tape
この世とあの世の風通し―精神科医加藤清は語る
評価:
加藤 清,上野 圭一
◆『この世とあの世の風通し―精神科医加藤清は語る

加藤清は、日本の精神医学界に大きな影響を与えた精神科医だ。国立京都病院に精神科を設立し、その医長となり、精神病理・精神療法学会、芸術療法学会などの設立などにも貢献している。また、精神医学会の多くの指導者やセラピストを育てた。他に『癒しの森―心理療法と宗教』、『霊性の時代―これからの精神のかたち』などの著書がある。

この本は、翻訳家かつ鍼灸師である上野圭一が聞き手となって、加藤清の深遠な思想の一端を語ってもらうという試みだ。読み始めて思わず夢中になった。 内容は、「精神医学への道」と「魂の深層からの癒し」とに分かれ、医学者になるまでや治療の現場での様々なエピソードを中心に語られており、きわめて平易で興味深い。日本の精神医学界の指導的な立場にいる人物が、これほどに「この世とあの世の風通し」を持ち、しかも魂の真の癒しを求めて「あの世」に通じる精神を治療の根本にすえている事実は、感嘆にあたいする。

幼いころから「この世とあの世とがツーカーになっていた」という加藤清は、精神医学的な治療の現場でカルマの問題に突き当たると、信頼できる霊能者の協力すらえている。にもかかわらず、ターミナルケアについての次の言葉は示唆的だ。 「ターミナルケアに一番必要なのは、治療者が本当に落ち着くことだ。魂や、死後の世界ということは、あまり強調しなくてもいい。自分が深く深く落ち着いた状態 で、死んでいく人に向かえばいいのです。そうすると、人間というのはどこかでお互いに落ち着いていくことを求め合っているから、相手も安心する。」

すでに取り上げた『彼岸の時間』のあとにこの本を読んだのは偶然だが、取り上げられているトピックスにサイケデリックスや沖縄のシャーマンなど、重なりが多く興味深かった。

彼は、スイスの某社からLSDの効果研究を依頼されて治療研究だけでなく自分も 試している。自身のLSD体験や、LSDによる治療例が語られていて、これがまた興味深い。 サイケデリック心理療法が、いかに生と死という魂の根源からの治癒を促すかとい うことを認識させられた。また、そこで生と死の根源に触れている精神科医の援助がいかに大きな意味をもつかも、具体的な事例から知ることができた。

サイケデリックスは、人間の究極的関心である根源的リアリティーへの志向を活性 化するとする点は、蛭川立の主張と同じだと思った。  

JUGEMテーマ:精神世界の本
セラピー・ヒーリング14:50comments(0)trackbacks(0)
tape
生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み
評価:
グレン ウィリストン,ジュディス ジョンストン
◆『生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み

これまでに読んだ退行催眠による過去生の探求や、いわゆる「前世療法」を扱った本に比べると、実証的な姿勢がある点がよい。クライエントが語った過去生の記憶を実証的に確認した結果をある程度語っているのだ。ただ全訳ではないので、もっと実証的な部分は翻訳では省略されているかも知れない。少なくとも、いくつか挙げられた事例から判断して、実証的に確認できる事例を、著者がかなり持ってい るようだということは分かる。

一例を挙げよう。アメリカ人である女性が、アレックス・ヘンドリーという男性として19世紀後半のスコットランドに暮らしていた人生を語った。アレックスは、肉体的なハンディキャップを克服し、エディンバラ大学で医学を修めた。その生き生きとした大学生活の描写は、証明可能な二つの事実を含んでい た。

ひとつは家族がハンプシャーに住んでいたこと。もうひとつは、彼が1878年に医学校を卒業したことだった。こうした100年以上前のスコットランドの一無名人の情報を、クライエントが入手できたはずはないが、勉強のたいへんさや、家族からのプレッシャーを語る彼女の描写は真実味が溢れていたという。

著者はその後、エディンバラ大学に問い合わせて返事を受け取った。「アレクサンダー・ヘンドリー。スコットランド、バンプシャー郡カラン出身。1878年、医学士過程及び修士課程終了。」

この本でも改めて確認したのは、クライエントが過去生で死ぬ場面を語る描写が、臨死体験者の報告とほとんど同じだということだ。これは驚嘆に値する。体外離脱、上から自分の肉体を見る、愛を発散する光に包まれる等々。これも具体例を示そう。

「自分の遺体が見えます。自分の体を、見下ろしているんです。暴徒たちは、その遺体に覆いかぶさるように立っています。ひとりの男が、足で私の遺体をひっくり返して、何かぶつぶつほかの人たちに話しかけています。遺体を運び去ろうとしているんです。もう、自分の肉体にとどまりたいとは思いません。自由になったんです。そして光が‥‥‥とっても感じのいい光です。安らかな気持ちにさせてくれ ます‥‥‥恐怖も苦痛も消えました。私は自由になったんです。」

もちろんこれは退行催眠で過去生での死とそれに続く場面を思い出しているのだが、臨死体験についてある程度知る人なら誰でも、両者の驚くほどの類似性を認めるだろう。

著者は言う、「退行したクライアントがどんな宗教を信じていようと、過去生での死の体験は、みな驚くほどそっくりである。死とは移行の瞬間であり、平和と美と自由の瞬間である。着古してくたびれた衣装を脱ぎ捨てて、新しくもあり、またふるさとのように馴染みある世界へと、踏み込んでいく瞬間なのである。」

多くのクライアントが繰り返し語る死の特徴は、「身の軽さ、浮遊感、自由さ」だというが、これはまた、多くの臨死体験者が繰り返し語る特徴でもあるのだ。

臨死体験の報告と一つだけ相違する部分があるとすれば、退行催眠ではトンネル体験を語るものは、ほとんどいないらしいということだ。

それにしてもきわめて高い共通性があるのは確かで、今後しっかりとした統計的な比較研究をする必要があると思う。これほど臨死体験が知れ渡っている以上、ほとんどのクライエントはその内容を知っているだろうから、たんに共通性が高いだけでは、あまり意味をなさない。細部に渡る比較研究のなかで、この共通性が積極的な主張につながるかどうかを検討しなければならない。

クライエントが語る「中間生」、時空のない世界の描写にも、臨死体験の報告と高い共通性がある。「宇宙を満たす感触、すべての生物を包み込む感触、見えるものも見えないものも含めたすべてのものの真髄に触れる感触、あらゆる知識に同化して文化の制限を超えた真実に目覚める感触、それが、中間生である。」

悟りにも似た精神変容を遂げる臨死体験者も、同様の世界に触れた体験を語ることは、『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』の読者なら、容易に理解してくれるだろう。

中間生の描写は、別項で取り上げた『魂との対話』での「魂」のあり方とも非常によく似ている。「魂」は、それ自体、時間による制限を受けず、時間の外側に存在している。「魂」の視野は広大で、その知覚はパーソナリティー(個々の人生を生きる自己)のもつ限界を超越している。パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させることで「魂」に近づく。  

退行催眠は、クライアントが療法家の世界観の影響を無意識に受けやすいという面があるかも知れない。そうした点に充分慎重である必要はあるが、著者が豊富な臨床例から解明した「人生の仕組み」を参考にして見る価値は充分にあると思った。人生という名の学校で、私たちは、繰り返し学び続けているのだという「仕組み」 を。

JUGEMテーマ:精神世界の本
セラピー・ヒーリング21:09comments(0)trackbacks(1)
tape
Stillness Speaks: Whispers of Now
◆『Stillness Speaks: Whispers of Now

この本の翻訳本、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』の書評はすでに書いた。エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生は‥‥(The Power of Now)』を読んだものにとっては、そのエッセンスを簡潔な言葉の数々によってもう一度確認でき、さらにきっと新しい発見ももたらしてくれるだろう。エックハルト・トールの本を始めて手に取る人にとっては、読みやすく分かりやすい言葉の数々が、思考のない静寂の中にこそ真理があるというメッセージを力強く伝えてくれるだろう。そして、『さとりをひらくと(Power of Now)』もぜひ読んでみたいと思うに違いない。

最近、私は英語の元の本、『Stillness Speaks: Whispers of Now』を毎日、少しずつできるだけ声を出して読んでいる。すでに三度目の読み返しになる。互いに半ば独立した短い章句の連続で構成された本であり、英語もきわめて平易なので読みやすい。薄くて軽い本だから、カバンに入れておいて、短い時間があれば、短い章句の一つ二つを読んだりしている。英語の勉強にもなる。日本語ではないから、一字一句を心に留めながら読む。それでか、日本語で読んだときには気づかなかった発見があったりする。

何よりもいいのは、たとえ2〜3ページでも毎日読んでいると、その時は必ずスピリチュアルな言葉に接することになり、心が落ち着いたり、勇気をもらったり、刺激を受けたりするということだ。自分の部屋で読むときは声をだすから、それだけ心の深い部分に届いている可能性もある。4回、5回、6回‥‥と本がボロボロになるまで読んでいこうと思う。

JUGEMテーマ:精神世界の本
さとり15:31comments(38)trackbacks(0)