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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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恐怖なしに生きる
評価:
J. クリシュナムルティ
平河出版社
恐怖なしに生きる

J. クリシュナムルティが、さまざまな時、さまざまな場所で語った恐怖についての教えを通読すると、恐怖についてだけではなく、クリシュナムルティの教えのエッセンスがおのずと理解できる構成になっている。そしてクリシュナムルティという孤高の透明な精神の魅力が心に深い印象を残す。

彼は、恐怖について語りながら、人間の一切の苦悩の根元である「思考」(分別意識)について語っている。では恐怖をもたない状態はいかにして可能なのか。それは、「‥‥全的な注意力、つまりすべての思考、すべての言葉、すべてのふるまいへの自覚があるときにかぎって可能なのです。精神は言葉という障碍物がないとき、解釈や正当化や非難がないときに注意深くいられるのです。そのような精神はそれ自身を照らし出す光です。そしてそのような光である精神だけが恐怖をもたないのです。」

「光である精神」は、おそらく恐怖だけではなく、人間の一切の苦悩を一掃するのだ。それ(恐怖や苦悩や怒り等々)を抱きつづけ、それから離れようとせず、それを抑圧したり超越しようとしたり、ただひたすら見るということ。

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さとり22:41comments(0)trackbacks(0)
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あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
評価:
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ナチュラルスピリット
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え

ラマナ・マハルシは、20世紀のインドに生きた偉大なグルであり、神秘思想家だ。この本は、その元で長い年月を過ごした英国人デーヴィッド・ゴッドマンが、師の言葉をテーマ毎に編集したものである。「真我」「探究と明け渡し」「グル」「瞑想とヨーガ」「体験」「理論」という六つのテーマにそって弟子との質疑応答が整理されている。

訳者の後書きによると、シュリー・ラマナの最も明確にまとめた本のひとつとして世界的な評価を受けているという。これまで何冊かラマナ・マハルシの本を読んできたが、私もこの本で、その教えの全体像がようやく見渡せたと感じた。

「あらゆる特定の想念の背後には、『私』という普遍的想念がある。それがあなた自身である。この『私』を第一の想念と呼ぶこととしよう。この『私』という想念を心に保ちなさい。そしてそれが何なのかを見いだすために問いただしなさい。この問いがあなたの注意を強固に引きとどめるようになったとき、他は何も考えることができなくなるのだ。」

各テーマの前に編者による教えの簡単な解説があり、巻末には用語解説があるなど、ラマナ・マハルシを始めて読む人にも充分に親切である。

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さとり22:40comments(0)trackbacks(0)
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悟りと解脱―宗教と科学の真理について
評価:
玉城 康四郎
法蔵館
悟りと解脱―宗教と科学の真理について

著者の最後の著作で、遺稿を含む。著者の晩年の著作に共通する清澄な空気と真実そのものから発するような力にみなぎっている。

形なき<いのち>そのものであるダンマが、全人格体に顕わになり、浸透して全宇宙に充足するという事実を、ブッダだけでなく、イエスに、ソクラテスに、孔子に、親鸞に確認していく。

特に聖書のプネウマ(従来は聖霊と訳されるが)を仏教のダンマと重なり合うものとして考察する論はなるほどと思わせる。イエスはブッダと同じいのち(プネウマ)に開示されていたのだ。

筆者はいう、ブッダにおける「いのちの開示は、たしかにその後の仏教の展開の根拠にはなっている。しかし開示そのものは、仏教の枠組みを超えている。一個の人間に<いのち>が開かれたのである」

孔子もまた、ブッダと同じ形なき、<いのち>に開かれていたということを説得力をもって論じる部分は感動する。<いのち>の開示という観点から孔子を読み直すと、通徹する<いのち>を生きていた孔子という像が鮮やかに蘇る。

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さとり22:28comments(0)trackbacks(0)
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「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)
評価:
高岡 英夫
講談社
「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)

著者の長年の探求のなかで、体をゆるめることがいかに人間の心身の潜在力を引き出すかが明らかとなったという。バスケットボールの陸川章選手や女子サッカーの荒川恵理子選手、沢穂希選手の指導、男子サッカーの大黒将志選手の実例、相撲の豊ノ島の指導などでその成果を具体的に語っている。また高齢者への指導でも、健康面、心理面、身体の変化などでかなり効果をあげているようだ。高岡英夫氏の理論は、気功やヨーガその他、体を動かす東洋的な行法においてきわめて画期的で、今後、この方面における中心的な役割を果たす理論かもしれない

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からだと癒し21:41comments(0)trackbacks(0)
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いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力
評価:
ロバート・C. フルフォード,ジーン ストーン
翔泳社
いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力

吉本ばななの「私はこの本を何回読み返しただろう?何人にすすめただろう?」という言葉に引かれて読む気になった。オステオパシーの名医・フルフォード博士の語り口から感じられる患者や人間への愛、本来の命がもつ力・生命エネルギーへの確かな実感と信頼、地に足のついた医療への態度、そうしたものが伝わってきて、なるほど、この感じが吉本ばななにあのように語らしめたのかと思った。

オステオパシーとは、手技を通じて全身の微小関節を調節することによって生体エネルギーの流れに介入し症状の緩和をもたらす骨調整療法であり、アメリカの代表的な代替医療のひとつだが、この生体エネルギーは、明らかに「気」といってよいものである。 1980年代の後半、19世紀の薬剤信仰を嫌っていたアメリカの医師・スティル博士は、 からだに本来そなわっているはずの自然治癒力を最優先する治療法を研究していた。観察を続けるうちに彼は、「どんな病気の患者にもかならず筋骨格系の異常があることに気づき、循環系と神経系のアンバランスが症状を起こしている」と考え始め た。

それを解決するには、手技によって問題の関節を調節することで循環をとりもどすことだとするのがオステオパシーの考え方だ。フルフォード博士は、その正統な後継者のひとりだ。からだには、活発に動くエネルギーの流れが存在し、その流れがブロックされたり圧迫されたりすると、心身が本来もつしなやかさや流動性を失う。 そこから病気の症状が現われる。それゆえ手技によってエネルギーのブロックを解除することが必要になるという。

オステオパシーの治療の一例を挙げよう。からだがだるく大儀で仕事もできずに、死ぬことばかり考えているという50代はじめの男性。何人の医師が検査しても原因が発見できず、膀胱に原因があるのでは、というある医師のすすめで膀胱を切除したが、病状はますます悪くなった。 衰弱し切った患者の診察をしたフルフォード博士は、昔の事故のことを質問した。肋骨あたりに過去の骨折の痕跡が感じられたという。男は驚いて17年前に対向車と衝突した事故のことを語った。その事故のショックがからだの中に残り、生命力がブロックされて、徐々に衰弱していたのだという。10分ほどの手技治療の直後、男は強烈なエネルギーがからだじゅうを駆け巡るのを感じる。数分後には自力で治療台からおき上がり、30分もたたないうちに、男は全身に生命力をみなぎらせて、気持ちよさそうに立ち上がった。

これと同じような事例が数多く紹介され説得力があった。説得力があったという意味は、オステオパシーが手技をつかって特定の関節の調節をすることでエネルギーの流れを取り戻すという点だが、その治療のプロセスとその効果が具体的で、確かな印象を残すのかもしれない。

『免疫革命』は病気の背景にある共通の問題として自律神経系や免疫系の乱れを挙げていたが、実際には、気=生命エネルギーの乱れもまた深く関係しているらしいということ、それが治療の過程で具体的な説得力をもって見えてくるのがオステオパシーの興味深いところだ。 それにしても、病気とその治癒ということを深く追求していくと、現代文明(現代の科学)そのものが持っている根本的な欠陥までもがあらわになってくる。病気と治療ということを通して学ぶべきことはきわめて多い。

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からだと癒し13:47comments(0)trackbacks(0)
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痛みと身体の心理学 新潮選書 (新潮選書)
評価:
藤見 幸雄
新潮社
痛みと身体の心理学 新潮選書 (新潮選書)

プロセス指向心理学(POP)への、平易ですぐれた入門書である。私はプロセス指向心理学の創始者であるミンデルの着眼と、心理療法として方法、そしてその世界観に強く引かれ、共感する。この本でもその魅力が十二分に伝わる。しかもこの本は、痛みや症状から始まり、人間関係、死のプロセスを生きるコーマ・ワーク、 社会的・政治的問題を扱うワールド・ワークまで、プロセス指向心理学の幅広い領域を偏らずに紹介し、ミンデルの方法と世界観が、ミンデルや著者が扱った事例を織り交ぜながら、たいへん分かりやすく語られている。

プロセス指向心理学の基本的な考え方を確認しよう。ミンデルは、身体と夢とを同 じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

そしてドリームボディは、心と身体の中間にある「第三の存在」といえる。これを サトル・ボディ(霊妙体、微細身)と呼んでもよい。つまり、物、肉としての身体 とは異なる「もう一つの身体」ともいえる。そしてこの高次の実在の次元において、 心身は究極的に一如である。それは心と身体の中間に位置すると同時に高次元(あるいは深い次元)において両者を超えて、統合する存在である。この「第三の存在」をユング派では「魂」と呼ぶ。

このように、心と身体、夢や身体症状が、心身やドリームボディさらには魂のファクターであるなら、症状や夢は単に否定的なもの、病理的なもの、わけのわからないものではなく、そういった「高次元の存在」に至る、糸口あるいはチャンネル (通路)と捉えなおすことができるとPOPは考える。

本書には、かんたんに取り組むことのできるセルフ・ワークが、1から13まで挿入されている。これを試みるだけでも、POPの考え方がかなり実感できるかもしれない。ひとつ例を挙げよう。 たとえばこんなワークがある。現在患っている身体症状などに気持ちを向ける。現在とくになければ過去に患い治ったものでもよい。その部位をていねいにじっくり と感じる。身体の感覚を保持したまま何かのイメージが浮かんでくるまで待つ。意識状態がふんだんより深まると、イメージが現れやすくなる。身体症状から浮上したイメージ、思い出された夢が、ドリームボディあるいは、その現れであるという。 現れてきたドリームボディを、自分とは異なる命、意志、自律性をもった他者存在 と仮定して、それが身体症状や病、身体感覚、夢、イメージという形を通して表現 している意味や目的を、想像してみるのだ。 症状は夢と同様、私たちの生き方に訴えかけるメッセージとして出現するのだ。病 気や身体症状などのマイナスと把握されやすいものに隠されたメッセージ・知恵を 見て、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるというというのが、 POPの捉え方である。

ワークの実際においては、見落とされがちな「起こりつつ あること」がそのプロセスを全うできるようサポートする。そのプロセスに十分に自覚して関われば、症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終えて消失することも起こるという。

夢、すなわちドリームボディは、夜眠っているときだけではなく、病や身体症状、 さらに他者(との関係)のなかにも何らかの形で、常に介在している。現実の中にはいつも夢が流れていて、それは自らの表現する媒体を探しているのかもしれない。 私たちは、現実に生きながら、同時に夢の世界に足を踏み入れているのだという。 これはまるで文学的な表現のようでありながら、POPの背景となる真実を語ろう としている。こうした考え方にミンデルの奥深さとなんともいえない魅力がある。 「深さの次元」が、たえず私たちの周囲の現実にその表現を求めて立ち現れている、 という捉え方は、私たちの心を揺さぶる不思議な魅力をもっている。そして、気づこうとする意志と注意力さえ持っていれば、それは確かな真実として実感されるのだ。

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心理学全般23:13comments(0)trackbacks(0)
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前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)
評価:
森下 典子
光文社
前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)

前世を言い当てられるという女性に「あなたはイタリア、ルネサンス期に活躍し夭折した美貌の彫刻家デジデリオの生まれ変わりだ」と伝えられたルポ作家が、その真偽を確認しようと徹底的に調べ上げ、ついには、イタリア、ポルトガルまで飛んで その謎に迫るという内容の本だ。日本人が自分の前世についてこれほど徹底的に追求したノンフィクションがあったのとは迂闊にも知らなかった。読み出すと結局最後まで止まらなくなる。わくわくするような謎解きの面白さだ。私も、他の仕事そ っちのけで一気に読んだ。

京都在住の霊能者である主婦が語った著者・森下氏の前世、つまりデジデリオの人生は、その生まれ、同性愛者としての数奇な人生、残された作品の秘密にいたる まで細部にわたり、専門的な知識も欧米語の知識もない主婦が文献で調べあげられるような内容ではない。日本語の文献で必死になって調べても、分かるのはせいぜ い、百科事典的な生涯の記述などごく限られた情報でしかない。欧米の文献でも事情はそれほど変らないらしい。

しかし、イタリアに飛んだ森下氏が、徹底的に調べれば調べるほど、京都の女性 が見たデジデリオの人生のビジョンの正確さが裏付けられていく。そのスリリング な調査のプロセスにこの作品の面白さがある。一例を挙げると、通説では、デジデ リオの友人ロッセリーノの作とされる彫刻があった。実はその顔の部分がデジデリオの作であった決定的な証拠が、偶然に見つけたポルトガル語の文献から確かめられる。京都の女性が語っていたことが正しかったのだ。こうしたいくつかの例から、 京都の女性が見たビジョンはかなり信憑性があると、誰もが思う。

一方で読後に若干の物足りなさを感じる。確かに京都の女性が見たビジョンは、 現地でかなり確かめられていく。しかし、それが森下氏の前世だと主張しうる根拠 は何もない。森下氏が愛用するベネチアグラスの小さなガラス瓶を手に持ちながら 京都の女性が見たのは、たまたま浮かんできたデジデリオの生涯であり、森下氏の人生とは何も関係ないかも知れない。それは、ただ京都の女性の透視力が確認されたに過ぎないのではないか。そういわれても反論できない。森下氏とデジデリオに 説得力のある共通点があるわけでもなく、デジデリオゆかりの場所で、彼女が何か強烈なインパクトを受けるわけでもないのだ。

それにしても、これまで精神世界とは無縁の仕事をしてきたルポルタージュ作家が、懐疑を捨てきれぬままに霊能者の見たビジョンにしたがって徹底的に調べ上げ、 ついに通説を超えたデジデリオの真実に迫ったという事実は、高く評価されていい。

この作品は、ぜひともその続編が書かれるべきだと思った。霊能者の女性によれ ば、デジデリオと変らぬ愛を誓いあった同性愛の相手が、今日本に生まれ変わって、 彼女と同じライターの仕事をしているという。その人物については、もちろん何も 手がかりがないのだが、もしその人物との出会いが語られるならば、この作品は見事に完結するだろう。デジデリオを調査する過程で起こった数々のシンクロニシテ ィを思えば、そういう結末があっても不思議ではない。 

JUGEMテーマ:精神世界の本
臨死体験と死生観22:48comments(0)trackbacks(0)
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うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践
評価:
アーノルド ミンデル,エイミー ミンデル
春秋社
(1999-08)
うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践

思わず「やはりミンデルは素晴らしい」と呟きながら夢中で読んだ。これは、エサレン研究所でのワークショップの記録であり、プロセス指向心理学についてのミンデルの講義とプロセス・ワークの実際との記録である。プロセス・ワークは、ユング派の分析家であるアーノルド・ミンデルが創始したセラピーの技法だが、セラピーという枠を越え幅広い展開を見せる臨床学となっている。

これまでに読んだミンデルの何冊かの本の中では、私にとっていちばん刺激が多かった。実際のプロセス・ワークを元にし、具体的で分かりやすいということもあるだろう。同時に私自身がヴィパッサナー瞑想を実践するようになり、その観点から比較しつつ読んでいるという理由もあると思う。

プロセス指向心理学では「自覚」(アウェアネス)が非常に重要な役割を果たす。全体的になること、すなわち気づいていた側面に加えて、気づいていなかった側面にアクセスすることを、プロセス指向心理学では「意識」の本来の働きと考えている。
 
「私たちがすべきことは、自分および人々がどのように物事を知覚しているかに気づくことです。そうした知覚の展開を自覚していると、以前には静的な状態が統治していたところに流動的なプロセスが創造され、思いがけない発見や豊かさがもたらされるでしょう。」

気づいていなかった側面が自覚にもたらされると、それ自身で展開し、成長し、解決する創造的なプロセスが生まれる。「丁寧に観察しながらプロセスに従う」という方法は非常に高い普遍性を持っている。ヴィパッサナー瞑想に共通し、しかもヴィパッサナー瞑想を、心理学の立場から豊かに意味付けしているように感じる。少なくともヴィパッサナー瞑想は、自覚にともなうプロセスの展開については強調していない気がする。

ワークの実際場面で言えば、「起こりつつあること」がそのプロセスを全うできるようサポートする。見落とされている「起こりつつあること」を十分に自覚して関われば、症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終えて消失することも起こるという。

強く引かれるプロセス指向心理学の考え方に「ドリームボディ」がある。ミンデルの基本となる考え方のひとつだ。ミンデルは、もし身体の調子が悪ければ、おまえは病気なんだとみなす考えに納得できなかった。夢分析中心の伝統的なユング派の臨床を続けるうちに、実は体に現れている症状も夢と同じように無意識の創造的な発現なのではないかと思うようになる。夢には意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に病理的なものでも、悪いものではない。

夢と身体症状は、お互いがお互いの分身であるかのようだ。夢に現れるイメージも、身体に現れる何らかの症状も根元は同じで、たまたま夢という形を取るか、身体症状という形を取るかの違いに過ぎないと考え、その、同じ根元を夢と身体の一体になったものとして「ドリームボディ」と名づけたのである。

ドリームボディのメッセージは、やがて夢と身体だけではなく動作、人間関係、共時的な出来事を含めた様々なチャネルを通して現れてくることが発見され、そこで起こっている出来事を丁寧に観察してその流れについていくことが重要だという、プロセス指向心理学へと発展した。無意識は、そのメッセージを伝えるために、様々な感覚器官(チャンネル)を利用する。それが夢の視覚イメージであっても、身体の体験であっても、人間関係や出来事であっても、メッセージとしての働きは同じだというのだ。

私がミンデルにいちばん引かれるのは、病気や身体症状などのマイナスと把握されやすいものに隠されたメッセージ・知恵を信頼し、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるという点だ。 

「この病気はとんでもない」と言いつつ、同時に「これは何と興味深いのか」という。苦しみに嫌だというだけではなく、なるほどという眼を向ける。死を恐ろしいと捉えるだけではなく、死は何か大切なことを教えてくれるものと捉える。それらを無視するのではなく、自覚的に充分に体験し生きようとすると、無視されていたプロセスが、自ら展開し、成長し、私たちをより全体的な統合へと導いていく。

タオあるいは自然に従うとは、私たちが好まないことにも注目し、それに従うことをも意味する。自分のやりたいことに注目するだけではなく、自分の意に反した、ばかげたことを拾い上げ自覚化する。日常的な意識の様式を裏返えし、「うしろ向きに馬に乗る」。トラブルの中に隠された可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子を見出す。そうするとタオがそれ自身のプロセスに従って全体性が回復されていく。

タオとは、意識の外に追いやられ無視された内と外の現実に目を向け、それを自覚し生き抜くことによって始まる統合へのプロセス。統合へのプロセスは、人間の「はからい」を超えている。そのプロセスへの信頼。タオへの信頼。

しかもタオへの信頼が、プロセス・ワークという実践に裏付けられている。これまでにも無意識と意識の統合を説いた心理学者は多くいただろう。ミンデルは、人智を超えた統合のプロセス(タオ)そのものを中心にすえ、それに限りない信頼を置く。

ミンデルには、心理療法のこれまでの理論家に感じたのとは違う根源性を感じる。それはやはり、パーソナリティではなく、タオと表現されるような、生成し展開するプロセスを中心あるいは基盤にすえているという点だろうか。トランスパーソナル心理学でさえ中心はやはりパーソナリティであり、パーソナリティを超えるにしてもパーソナリティの視点があってこそのトランスパーソナルなのだ。

ミンデルにおいては、しかも生成し展開するプロセスそのものへの信頼が、実践の中で現実に起こるプロセスとして確認される。その豊富な事例。そこがミンデルの魅力のひとつであり、特にこの本の魅力でもある。

最近たまたま河合隼雄の『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日新聞社)を読む。この中に次の言葉があった。

「私は心理療法をはじめた若い頃、どうしても自分が役に立ちたい、自分の力で治したい、という気持ちがあって、そのために、自分が病気になるのではないか、と思うほど疲れたが、そのうち『私の力』で治すのではないことが実感されてきた。もっと大きい力によって治ってゆくことがわかるようになったので、あまり疲れなくなった。」

この話は、河合の他の本でも読んだ記憶があり、疲労の度合いは周囲の人が心配するほどだと書いてあった。今回読んで「あっ」と思ったのは、「もっと大きい力によって治ってゆく」という部分だ。

「大きい力」とは、セラピストや患者を超えたところから来る大きな力というニュアンスがある。

ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。

河合がいう「大きい力」も実際には、それと変わらないのかも知れないが、ミンデルのようにタオの内在性を強調してはいない。ミンデルに私が引かれるのは、この現象に内在する知恵への信頼によるのかも知れない。

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心理学全般17:31comments(0)trackbacks(0)
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知られざる自己への旅―私の中の私を探して
評価:
エドワード クライン
大和書房
(1999-01)
知られざる自己への旅―私の中の私を探して

前世療法を行う精神科医と女性ジャーナリストとの共著だ。この女性ジャーナリ スト自身が前世療法を受け、いくつかの前世を体験する。そして高所恐怖症が消え、 これまで成功したためしのなかったダイエットに成功し、自己主張が自由にできる ようになるなど、前世でのトラウマを追体験するごとに、彼女自身が変化していく。

内容はとても興味深いのだが、実際にはあまり読まれなかった本のようだ。タイトルからもサブタイトル(「私の中の私を 探して」)からも前世療法を扱った本だとはわかりにくい。それも読まれなかった理由のひとつかも知れない。

しかし本書は、前世療法を体験して癒された側から書かれたレポートとして貴重だ。もっとも構成は、前世療法を施した精神科医の視点からの記述と前世療法を受けた側からの記述とが交互に並べられており、これはこれで面白い試みだと思った。

共著者の女性ジャーナリスト・キャロルは、自分が体験した14の前世を振り返っている。その中で圧巻なのは、古代ローマに生きたカドレシーと呼ばれる男としての人生だ。彼は、地位や権力がほしいばかりに、自分を使う主人の要求を受け入れ、去勢された上で望みもしない同性愛的な関係を強いられた。にもかかわらず、最後には主人に裏切られる。主人は、死んだら彼に財産を残すと約束していたのに、結局は自分の息子に譲ってしまったのだ。

地位や権力を得たいばかりに去勢に応じたにもかかわらず、カドレシーは望みをかなえられなかった。自分の人生に何も残っていないと感じた彼は、性的にも欲求不満になり、残された唯一の楽しみである、食べることに集中していった。彼は生来、血が止まらない体質だったにもかかわらず、暴飲暴食で命を削っていった。そんなに太らなければもっと長く生きられたのに。

こうしてカドレシーは、主人の息子ルキオに看取られながら死んでいく。父親のことは憎んでも憎みきれなかったが、息子ルキオのことは深く愛した。カドレシー は、ルキオとの交流のなかに愛の美しさを見出した。そして、愛は憎しみを超え、 愛がすべてを解決することを学んだ。そして「もっと愛する人々と長く一緒にいたいなら、自分の肉体をもっと大切にしなければならない」ことをも学んだ。

キャロルは語る、「死の直前、ルキオに対して感じた愛のぬくもりに、私は驚きました。私は彼を置いていきたくなかった――でも、あの愛を体験したことで、自分があの人生に入った目的を達成したことを、突如として、しかも余すところなく 理解することが出来ました‥‥‥だから、次に移るべき時が来たのがわかったのです」。

キャロルにとって、このセッションのインパクトは強烈だった。過去からのメッセージがついに彼女の重い腰をあげ、やっとダイエットに本気で取り組むことになった。これまで何度挑戦しても成功しなかったダイエットにやっと成功したのである。そして、彼女のほかの人生でも何度も繰り返されたテーマがこの人生でも繰り返されていることを知った。それは、人に弄ばれ利用されながら、自己主張できない、自分のために立ち上がれないという問題であった。自己主張というテーマは、 彼女が受けた前世療法のプロセス全体の中で解決されていったようだ。

エドワード・クラインは、精神科医として前世療法を行ってきた豊かな経験から 「私たちは前世で未解決のままにしてきた問題を今回の人生で解決するよう仕向けられているのだ」と信じるに至ったという。私自身はそこまで確信できないし、読後に若干の不満が残る。それはこれまでに読んだ前世療法関係の本全体に言える感想かもしれないが、この本で特に強く感じた。

不満は、一つ一つ人生がかなり手軽に追体験され、ごくかんたんに要所のいくつかが振り返られて終わり、次々と別の人生に移っていくことだ。もしかしたら治療的な効果としてはそれで充分なのかもしれない。しかし読む側には個々の人生の重みが充分に伝わってこない。ひとつの人生をあたかも長編小説のようにじっくりと 詳細に記述したレポートなら、その人生の具体的な有様とともに真実さが伝わり、信憑性が増すのではないか。逆に、無意識的な創作であるならどこかにぼろが出やすいということだが。過去に生きたと思われるひとつの人生を、すぐれた自伝のようにその心の成長の軌跡も含めて詳述するような前世療法体験記は出ないものだろうか。もしチャンスがあるなら自分がレポートしたいくらいだが。

『輪廻転生―驚くべき現代の神話』などのJ・L・ホイットン、『前世療法―米国 精神科医が体験した輪廻転生の神秘 』などのブライアン・L. ワイス、『生きる意味の探求・退行催眠が解明した人生の仕組み』のグレン・ ウィリストン、日本では『生きがいの催眠療法―光との対話が人生を変える』の奥山輝実(飯田史彦との共著) など、この分野での実践の蓄積、その報告もかなりの量になっている。それらの研究から何が言えて、何が言えないのか。いずれにせよ私自身は、こうしたテーマにつねに心をオープンにして接していきたいと思う。  

JUGEMテーマ:精神世界の本
臨死体験と死生観14:27comments(0)trackbacks(0)
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「死ぬ瞬間」と臨死体験
評価:
E. キューブラー・ロス
読売新聞社
(1996-12)
「死ぬ瞬間」と臨死体験

今や、死の問題や終末期医療に関心を寄せる人でE・キューブラー・ロスの名を 知らない人はいないだろう。一方で彼女は、レイモンド・ムーディと並んで「臨死体験」を世に知らしめた立役者だ。『死ぬ瞬間』等で世界的に著名な彼女は、その 講演の中で自分が見聞きした「臨死体験」について多く語っていた。そんな講演を 集めたのがこの本だ。

出版された当時に読んだとき多くの箇所にマークをつけた。そこを中心に読み返してみて、自分がこの人の考え方に大きな影響を受けていることをあらためて実感 した。そんなところを中心にいくつかの言葉を紹介する。
 
「すべての苦難は、あなたにあたえられた成長のための機会です。成長こそ、地球 というこの惑星に生きることの唯一の目的です。‥‥もし病気だったり、どこかが 痛かったり、喪失を体験したりしたときに、それに立ち向かえば、あなたはかならず成長するでしょう。痛みを、呪いとか罰としてではなく、とても特別な目的をも った贈り物として受け入れることが大切です。」

「私たちがしなければならないことは、正直になって、自分のなかのヒットラーを 直視し、それをおもてに出して、裁くのではなく無条件の愛と同情を、哀れみではなく共感を学ぶこと、そして、肉体をもったこの人生は自分の存在全体のほんの一 部にすぎないということをしることだ。人生は学校であり、誰が年長で誰が年少か は自分たちで決めるのだし、自分の先生は自分で選ぶのであり、試験や試練をくぐり抜けなければならない。」 

「人は誰でも人の心を癒すことができます。誰だって、高次の意識のどんな段階にでもたどり着けます。難しいことをする必要はありません。ただ自分の持っている ものに感謝すること、そして心からの感謝の気持ちをさまたげるものを取り除くこ と、これだけです。」

「自分自身を癒さないかぎり、世の中を癒すことはできません。誰かをぶったり、 非難したり、見下したりしているかぎり、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、マイダネク、そしてアウシュビッツで起こったことの責任はあなたにあるのです。このこ とははっきり申し上げます。」 

「手遅れになる前に、この世界を癒さなくてはなりません。そして世界を癒すため には、まず自分自身を癒さなくてはなあないのです。どうかこのことを胸に刻んでください。」

とりわけ、成長こそ生きることの唯一の目的だという考え方は、私の心の深いところでの確信になっている。 なお、この本で語られているキューブラー・ロスの神秘体験については『臨死体 験・気功・瞑想』の覚醒・至高体験の事例集に収録してあるので、お読みいただければ幸いである。

http://www.geocities.co.jp/noboish/case/nobunrui/ross.htm

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臨死体験と死生観21:03comments(0)trackbacks(0)