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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
評価:
エリザベス キューブラー・ロス
中央公論新社
(2001-01)
◆『死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫) 

この本は、何よりも死に行く人々に接し、治療し、看護し、介護する人々のために書かれたものであろう。そうした医者や看護婦、家族にとって必読の本であり、きわめて多くの示唆を与えてくれる。E・キューブラー・ロスの本は、これまで臨死体験などに触れた二冊と自伝『人生は廻る輪のように』等を読んだ。『人生は廻る輪のように』にがあまりに素晴らしかったので、この主著も読む気持になったが、今直接に死に行く人々に接しているいなくとも、必読の書であることが分かった。

本書で初めて語られた「否認と孤立、怒り、取り引き、抑鬱、受容」という、末期患者がたどる死の五段階説は、あまりに有名だ。200人以上の末期患者に対して行われたインタビューを元にして本書は書かれている。その具体的な事例のなかで語られる個々の患者の心理的の重さ・真実さ。それは、誰も逃れることのできない死という絶対的な事実の重さから来る。

著者が繰り返し指摘するように「無意識のなかでは私たちはみな不死であるから、自分が死と向かい合わなくてはならないという事実を認めることなど、ほとんど考えられないのである」。読んでいる私自身も、無意識の否認をみごとに行っているのだが、末期患者の生々しい心理やインタビューでの言葉に接することで、いくぶんなりとも「無意識の否認」に揺さぶりがかけられる。

否認はまさしく、ヤスパースのいう「限界状況」からの逃避である。人間が、自己の挫折をいかに経験するかということが、その人間がいかなるものになるかということを決定する。本当の意味で挫折することから眼をそらし続け、最後にそれに打ち負かされるのか、それとも挫折を糊塗することなく、絶対の限界状況を直視し続けるのか。限界状況のうちで無が現れるか、それともあらゆる消滅する世界存在に抗し、それを超越して本来的に存在するものが感得されるのか、そのいずれかなのである(ヤスパース『哲学入門』新潮社、1988年)。このヤスパースの言葉を心の隅に置きながら、『死ぬ瞬間』を読んだ。

私たちは無意識の中では自分の死を予測できず、ひたすら不死身を信じている。そのため、乱闘や戦争や交通事故による死のニュースは、自分は不死身だという無意識の信念を裏づけ、死んだのは「隣のやつで、おれじゃなかった」と、無意識のうちにそっと喜ぶのだ。また、人間の集団は、暴力団から国民全体にいたるまで、それぞれ集団のアイデンティティを利用して他の集団を攻撃・破壊するが、これは逆に破壊される恐怖の裏返しである。もし国民全体・社会全体が死を恐れ、死を認めないならば、破壊的な自衛手段に訴えざるをえない。戦争、暴動、増加するいっぽうの殺人、その他の犯罪は、私たちが受容と尊厳をもって死を直視することができなくなった証拠かもしれないのだ。深い洞察というべきだろう。

死に行く人々の心理を語る部分は、さらに鋭く細やかな洞察に満ちている。その描写は、あまりに具体的で生々しく、多かれ少なかれ自分自身がそのような状況に置かれたならどう反応するかと、自分の身にに置き換えて読み進んでいるのを発見する。つまりこの本は、自分自身が自らの死を見据えることを強いるようなところがある。

たとえば著者は、第4段階目の抑鬱を二つの面に分ける。第一は、体力を失い、人生の楽しみを失い、財産さえ失い、さらに様々なものを失うことから来る抑鬱である。忘れがちなのは、死期に近い患者には、この世との永遠の分かれのため心の準備をしなくてはならないという深い苦悩があるということだ。第一の抑鬱は、個々の物事を喪失する体験への反応としての抑鬱、第二は、準備的な抑鬱である。

「人生の明るい面、肯定的な面に目を向けてごらん」という励ましは、第一の抑鬱状態に対しては効果がある場合もある。しかし、終末期の患者が、愛するものとの別れ、人生との分かれへの準備に入っている時には意味がない。死ぬ準備をする覚悟ができているのに、もっと頑張って生きろを言われるのはよけいに悲しい。準備的抑鬱の段階では、むしろ言葉を必要とせず、感覚的に理解しあい、手を握ったり、黙っていっしょにいるだけで十分なときもある。

患者が死を受け入れて安らかに旅だっていくには、このタイプの抑鬱は必要であり、患者のためになる。それを分かってあげなければらない。何と言う深い愛に満ちた洞察だろう。こうした洞察に貫かれた本を読むことは、死に行く人々と接する人々にとっても有意義だが、日常、死から目をそらして生きている私たち一人一人に何か本質的なことを思い起こさせてくれるのだ。この本には、そういう力がある。

「自分自身を正直に見つめることは成長・成熟を大いに助ける。そしてその目的を達成するには、重病患者,年老いた患者、死の迫っている患者に接する仕事に勝るものはない」と著者はいう。そしてこの本を読むこと自体が、自分自身を正直に見つめることを幾分なりとも促すようである。

JUGEMテーマ:精神世界の本
臨死体験と死生観13:43comments(0)trackbacks(0)
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