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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)
評価:
立川 武蔵
講談社
(1992-11)
はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

インド哲学の概論ではなく、「自己と宇宙の同一性の経験」というインド精神のもっとも重要なテーマに焦点を当てたインド精神史であるという。私自身が、こうしたテーマにもっとも関心が深いので興味深く読めた。しかも「仏教の誕生」、「大乗仏教の興隆」、「タントリズム(密教)の出現」という、仏教に関する独立した章を設け、インド哲学との関係、異同、深い相互の影響などにも丁寧に触れているので、学ぶところが多かった。

インド哲学が、古代から何をどのように問いつづけてきたのか、その問いと探究はどのように変化しつつ今日に至るのか。この本で、その4500年におよぶ歴史を振り返ると、ある感慨に打たれる。現代に生きる私が直面し、問い続けている問いが、多くのすぐれた人々によって繰り返し問われ、論争され、探究され続けてきたのだということ。

たとえば、人間の通常の営みを、否定さるべき「俗なるもの」として規定し、その否定の結果として顕現する精神的至福(悟り)を得ようとする態度は、古来「ニヴリッティ・マールガ」(寂滅の道)と呼ばれた。初期仏教の出家僧やヨーガ行者たちが歩むのは、この道であった。

仏教の開祖ブッダは、その意味ですぐれたヨーガ行者であった。古代ヨーガ行者たちは、心作用を統御・止滅させる手段としてヨーガを重視した。そのようなヨーガの伝統は、タントリズム興隆期に明らかな変化を経験した。タントラ的ヨーガは、実践者の心作用を統御し、止滅させる方向にではなく、活性化・増強する方向に働かせる。

タントラ的ヨーガでは、心作用は、「俗なるもの」として否定されることはなく、むしろ肯定さるべき「聖なる」心的・宇宙的エネルギーの活動と考えられた。

「止滅」の道、あるいは現世否定の態度は、「聖なるものの」の顕現を目指すが、その道は、出家僧やヨーガ行者のみがなし得ることだった。時代が下るにつれて、「俗なるもの」が権利を主張しはじめ、「聖なるもの」を犯していたが、この俗化の歴史がインド精神史であるかもしれない、と著者はいう。

私自身が、ヴィパッサナー瞑想を実践しつつも、その背景にある初期仏教の「止滅」の道、ないし現世否定の態度には、どこかで疑問を感じている。その疑問が、実はインド哲学史の全体にかかわる問題であるということを、この本で改めて確認したのである。

仏教はインド哲学のアンチ・テーゼといわれる。この本でも、ブッダの仏教が当時のウパニシャッドの伝統に対するアンチ・テーゼであり、いかに革新的なものであったが具体的に述べられている。インド哲学の伝統全体のなかでブッダの思想がどのように異質で、斬新なものであったかを認識しておくことは重要だと思う。

大乗仏教の興隆期に仏教哲学とバラモン哲学が、互いに批判しあいながらそれぞれの思想を形成していった様子も、分かりやすくまとめられており、興味深い。

JUGEMテーマ:精神世界の本
仏教・インド思想19:44comments(0)trackbacks(0)
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