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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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自我と無我―「個と集団」の成熟した関係 (PHP新書)
評価:
岡野 守也
PHP研究所
自我と無我―「個と集団」の成熟した関係 (PHP新書)

私自身がトランスパーソナル心理学にも唯識仏教にも関心が深いので、この二分野を基盤に発言する岡野氏の著作はほとんど読んできた。が、この本はとくに興味深い。

まず戦中の大多数の仏教者が積極的に戦争協力の発言をし、「無我とは滅私奉公である」「無我とは天皇陛下のために死ぬことである」と説いていたという。禅僧も含め、戦前の仏教指導者たちは「自我を滅ぼして国のために尽くすことが無我だ」という混同に陥っていた。

ほとんどの仏教者がそうだったという事実に驚くと同時に、今はその過ちを認識できる歴史的状況になったが、「私があの時代に仏教界の責任ある地位にいたら、本気で同じことを思い、発言していたかも知れない」という洞察にも、ある種の感動を覚えた。

自我と無我をめぐる戦前の(そして現代にまで至る)思想的な混乱をトランスパーソナル心理学と唯識仏教の視点から整理し、批判するときに開ける展望の新鮮さ。

この本の中の印象に残った話に以下のようなものがある。戦時中、中国・満州で説法し、兵隊に「国や天皇陛下のために死ぬのが仏教精神だ、思い残すことなく死ね」と説いて回った禅僧が、戦後も宗派の管長として大きな仕事をしていたが、反省して戦後だいぶたってから南方に遺骨拾いに行った。「あの状況下でつい死ねと云ってしまったが、せめて償いにお骨を拾ってお弔いをする」というのだ。

岡野は、この禅僧に心情的な反省はあっても、どうして戦争協力に至ったかの思想的な反省はないと指摘する。 仏教的な「無我」と「滅私奉公」を安易に混同してしまったところに、戦前・戦中の仏教や禅宗の、思想的未成熟があるのではないかと云うのだ。

この話を読んで最初に私が思ったのは、禅宗では覚醒、純粋経験など体験的なものが重視されるが、時代状況や歴史のそれぞれの局面で間違いを犯さないためにも、知的・思想的な探求や体験の位置付けが本当に大切なのだなということ。

いくら体験が大切だと云っても、知的な探求を怠ってはならないこと。知的な探求も同じように大切だということを肝に銘じなければならない。 と、同時に、本当に覚った人が戦争協力などするのかという疑いもいまだに残っている。 本当に覚った人が、国家エゴがぶつかり合い、それに駆り出されて無数の人々が殺し合い死んでいく戦争を是認することなどありえるのか、それは本当に知的・思想的探求の不十分さだけによるのか。

JUGEMテーマ:精神世界の本
心理学全般23:44comments(0)trackbacks(0)
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