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★臨死体験研究読本★
臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』は、精神世界を論じながらも、具体性があるため、説得力があり、読み手にも理解しやすいものに仕上がっています。しかも、一向にテンションのおちない確信に満ちた筆致の迫力は全編に渡っており、かつてない熱気に満ちた力作です。◆これまでの外国の研究などの器用な整理やまとめをする日本の学者は多いでしょうが、本書は、独自の考察と分析によって外国の評価の高い研究を批判し、それらに対する自らの主張を明確にする、きわめてオリジナリティーの高い作品です。
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神話の力
評価:
ジョーゼフ キャンベル,ビル モイヤーズ
早川書房
(1992-07)
◆『神話の力

神話学者、ジョーゼフ・キャンベルが、様々な神話に隠された意味を対話形式でわかりやすく語っている。小説や映画に登場するモチーフなどと比較しながら、神話がもっている深い精神性を明らかにする。

神話が、時代と地域を越えて共通の要素をもっているのはなぜか。人間のこころは、 基本的には世界中どこでも同じだからだ。みんな同じ器官を持ち、同じ本能を持ち、 同じ衝動を持ち、同じ葛藤を経験し、同じ不安や恐怖を抱くのだ。この共通の基盤 からユングいう元型が出現した。これが神話の共通地盤である。 元型は生物学的な根拠をもっているが、フロイトの無意識は個人的な外傷経験を抑圧したものの集合だ。ユングのいう無意識の元型は生物学的であり、自伝的な要素 は二の次である。人類史上のそれぞれの時代に、こういう元型がさまざまな衣装を まとって出現したのである。キャンベルは「神話は公衆の夢であり、夢は個人の神 話です」という。

神話の共通基盤が、人類の生物学的な条件に基づいているという見解は納得できる。 とくに同じ不安や恐怖を抱くその根底には、人間が死すべき存在だという絶対的な事実がある。だからこそ、もっとも深い根源から共通の元型が生まれてくるのであろう。そこには人間の条件についての人類共通の問いが横たわっており、その問い に対する答えを抽象的な思考によってではなく、物語とイメージによって語るのが 神話なのだ。 神話は、人が生きるということの最深の層に触れているのだ。

キャンベルが、神話 に関心を寄せる視点は、「生きる」ということに対して私が関心を寄せる視点とぴったりと重なるので、共感し、啓発されながら読んだ。 たとえば情欲と恐怖、この二つの感情が、この世のすべてを支配している。情欲が「えさ」で、死が釣り針だ。そこに神話と宗教がかかわる共通の根がある。それは、物質的な欲望と肉体の恐怖とを、肉体を支える精神性のために犠牲にすることである。

肉体の奥に秘められた〈大いなるいのち〉を知り、時間の場においてそれを表現することを学ぶ。この限りある生において、人間性を養い育て開花させるもののために自己を捧げる。 悟りとは、万物を貫いている永遠の輝きを認めることだ。時間の幻のなかで善と見 なされるものだけでなく、悪とみなされるものも含めすべてに。

そこに至るために は、現世の利益を願い、それらを失うことを恐れる心(情欲と恐怖)から完全に脱却しなければならない。 こうした思考が、神話の構造に即して語られることで普遍性を帯び、同時に神話が生まれてくる次元の深さを指し示す。(たとえばガウェイン卿と緑の騎士の物語な ど。)

神話を通して、これほどに深い真実が語られるとは。 キャンベルは、神話学を「ひとつの偉大な物語」の研究だという。私たちはみな、存在のひとつの基盤から生まれて、時間という場に現れている。時間という場は、 超時間的な基盤の上で演じられる一種の影絵芝居だ。私たちは影の場で芝居を演じる。「ひとつの偉大な物語」とは、そのドラマにおいて自分の位置を見出す努力のことだ。

誰でも、自分でそう思い込んでいる〈自分〉以上の存在であり、自分についての観念には含まれない次元と自己実現の可能性がある。生は、いま自分で見ているより はるかに深く、はるかに広い。いま生きている生は、それに深さを与えているもののうち、ほんのわずかな影に過ぎない。わたしたちは、その深みのおかげで生きられるのだ。あらゆる宗教は、その深みについて語っている。神話もまたその深みに 触れている。この世界という偉大な交響曲に対して、それと調和し、肉体のハーモ ニーを世界のハーモニーに同調させるためにこそ、神話が生まれたのだ。

神話の深さと魅力に目を開かれる一冊であった。

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精神世界全般17:10comments(0)trackbacks(0)
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覚醒のネットワーク―こころを深層から癒す (講談社プラスアルファ文庫)
評価:
上田 紀行
講談社
(1997-06)
◆『覚醒のネットワーク―こころを深層から癒す (講談社プラスアルファ文庫)

国家という暴力、自然破壊の暴力はそれだけで存在しているのではなく、私たちが「殻をかぶった自我」であり、集団としても同様の「殻」をかぶって、他を排除する構造を維持していることの必然的な帰結なのだという。ある集団で問題が起これば、その暴力を放出する別通路を作ろうとする。集団内で生じた対立や暴力をひとつ上のレベルに棚上げし、もっと大きな敵を作ることでそれを正当化して、切り抜ける。「愛国心」によってその場しのぎをするわけである。そして今度は「愛国心」相互の対立が生まれる。

「核兵器」も私たちの外にあるのではなく、「殻をかぶった」私たちのあり方のシンボルだという。大きな国家的な暴力の根源が私たちの中にある。しかし、逆に私たちがその構造に気づき、それに対して行動するならばそこに解決の方向が見えてくる。「殻をかぶった個」やそれに根ざす「殻をかぶった共同性」の排他性を解き放つ方向こそが求められている。

いままでは、現実の社会状況を変革する「社会運動」と自分の内面を見つめ、内面的な成長をめざす「精神世界」は、むしろ対立するものと考えられてきた。しかし、一方には「社会運動」にのめりこみながら、自分の内面の暴力性に気づかずに独善的になっていく「運動病」がある。そして他方には、「精神世界」にのめりこんでそこからなかなか出てこれないとう「セラピー中毒」がある。本当に必要とされるのは、両方の流れを深いところで結びつけ「覚醒のネットワーク」を築いていくことであると筆者はいう。

「学校でのいじめを解決する運動は、私たちのからだを考える医療の運動とも、世界の貧困をなくしていく世界平和の運動とも深くつながっています。『いま、個々で』暴力を止めていく運動は、世界のいたるところで同時に起りつつあります。そして『いのち』のネットワークは、地球上のすべての生きとし生けるものの癒しをいま生み出しつつあるのです。」p237

この本は、筆者が大学院生の時に書き始められ、1989年に出版されたという。この本でやさしい言葉で語りかけられたような、魂の目覚めと社会的な変革とを深く結びつけてネットワークを築いていこうとする動きは、徐々にではあるが日本の社会にも広がっているかに見える。しかし、その動きは、まだまだ大きなうねりにはなっていない。

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精神世界全般23:14comments(0)trackbacks(0)
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“癒す知”の系譜―科学と宗教のはざま (ニューヒストリー近代日本)
評価:
島薗 進
吉川弘文館
(2003-03)
◆『“癒す知”の系譜―科学と宗教のはざま (ニューヒストリー近代日本)

同著者の『精神世界のゆくえ』が興味深かったので、これも以前から読んで見たかった。食養、心理療法、世界観という視点から明治期以来の日本の〈癒す知〉の系譜を振り返っている。私自身が、とくに最近小食を実践しており、食養に関心が深まっていたので、今が読むタイミングかなと思った。

まず近代科学の知からはみ出してしまいながら、その欠点を克服していく可能性を秘めた膨大な知の領域を「癒す知」という観点から捉える概念化は、見事に現象の本質を捉えていると思う。あるいは、この領域の創造的な面を浮き彫りにするネーミングだと思う。

「〈癒す知〉はからだ(身体)や心に関わる知、また、からだや心に関わるものとしての自然と社会についての知である。からだや心が痛みや苦しみから解き放たれ、より健やかで本来の豊かな可能性を発揮できる状態へと回復するための知である」

たとえば、私たちが「精神世界」と呼んでいる領域のかなりの部分は〈癒す知〉に関わっている。からだや心が癒えていく過程は、近代科学的、還元主義的な知ではその本質をとらえきれない。そういう過程の本質を捉えきるには、近代知とはまったく別の世界観と方法〉が必要なのだ。そういう代替知としての可能性が〈癒す知〉という概念にはこめられている。

〈癒す知〉は、近代知と対比してその欠陥を明らかにするような視点を明確にする概念である。オルタナティブ科学や「精神世界」にかかわる様々な取り組みを〈癒す知〉という観点から捉えるならば、そこにかぎりなく豊かな可能性が見えてくるのではないだろうか。

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精神世界全般22:07comments(0)trackbacks(0)
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「いいこと」が次々起こる心の魔法―このスピリチュアル・パワーをあなたのものに! (知的生きかた文庫 わ 1-25)
評価:
ウエイン W.ダイアー
三笠書房
(2007-03)
★『「いいこと」が次々起こる心の魔法―このスピリチュアル・パワーをあなたのものに! (知的生きかた文庫 わ 1-25)』★

ダイアーは、数々のベストセラーを生み出したアメリカの心理学者・著作家。この著者の本ははじめてだが、かなり学ぶことの多い本であった。著者は、魂の成長を4段階(競争者、戦士、奉仕者、精神性の段階)に分けている。訳者・渡部昇一によれば著者自身が、この段階を通ってきたようだ。彼が「戦士」の段階で書き、ベストセラーになったのが『自分のための人生』だったという。 

しかし、この本は明らかに精神性の段階において、その生き方へのメッセージとして書かれている。だからこそ共鳴するところが多いのだろう。この段階の人は、「自分が、無限の力を秘めた永遠不滅の宇宙エネルギーが、肉体という仮の器に宿った状態なのだという真理に目覚める」という。『奇跡の学習コース』からの影響も多く見られる。後半では、愛や感謝が強調される。

一見エゴをくすぐる願望実現的なノウハウか思われるような本の作り(日本版のタイトルは特に)ながら、実際には読者を深い精神性の段階へと導く内容ものもである。 

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精神世界全般11:19comments(0)trackbacks(0)
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コスモロジーの創造―禅・唯識・トランス・パーソナル
評価:
岡野 守也
法蔵館
(2000-06)

コスモロジーの創造―禅・唯識・トランス・パーソナル』で著者は言う、行き詰まった時代の精神が進みうるのは「宗教でもなく近代主義でもなく霊性へ」という方向しかない、と。ここで宗教とは、みずからの教祖、教義、教団を絶対視し、信仰と服従を不可欠の条件とするシステムとグループをさす。

こうした宗教集団の自己絶対視は、かならず敵と敵意を生み出す。宗教集団にとって他者は改心させる対象ではあっても、そのまま認め得る存在ではない。布教に反対する呪われた存在は、神にかわって殺してもよいとさえ結論される。

一方近代主義の特徴は、個人主義的な人間主義、民主主義、合理主義、物質科学主義、産業主義、進歩主義、現世主義、無神論などである。これらの傾向を推し進めたとき、個人のレベルでは、ニヒリズムとエゴイズムに陥る危険性が高い。

自己絶対視から敵意を生む宗教と、エゴイズムとニヒリズムを克服できない近代主義をともに超えて人類の未来を切り開く道があるのか。それが霊性の立場であるという。

霊性とは、様々な宗教の根源にあって宗教に命を与えるおおいなる命の体験である。



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精神世界全般23:09comments(0)trackbacks(0)
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精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動
評価:
島薗 進
東京堂出版
(1996-09)
精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動』は、「ニューエイジ」運動や「精神世界」への関心の広がりを、現代社会の中でどう位置づけ、理解するかに関心がある人にとっては必読の書だろう。

曖昧な「ニューエイジ」という言葉を「新しい意識の時代の到来」を強調する運動として限定的にとらえ、そのような要素を必ずしも強調しないもっと広範な「新霊性運動」と区別する。その上で新霊性運動を、世界各地で多発的に発生したグローバルな運動と理解する点に深く共感。

新霊性運動と呼ばれる広範な運動群、宗教文化の特徴のひとつは、自らが伝統的な「宗教」の後に来たものと自覚することである。そして「宗教」に対する用語として「霊性」(スピリチュアリティ)が用いられる。つまり、新霊性運動は、自らを文明史的な視点から自己理解するという特徴をもっているという。

著者は、時代の流れや現代社会の中で「新霊性運動」がどのような位置を占めるかを、宗教社会学、ないし社会心理学的な視点から論じているので「精神世界」的な世界観そのものへの深い考察はない。その点は物足りない。「精神世界」的な世界観をどこまで深く理解するかによって、それを現代社会の潮流のなかにどう位置づけるかにも大きな違いが生じる。そこまで踏み込んだ考察はない。

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精神世界全般21:44comments(0)trackbacks(0)
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カルト資本主義 (文春文庫)
評価:
斎藤 貴男
文藝春秋
(2000-06)
すこぶる面白い。精神世界や超能力に傾斜する経営者や企業を批判、その内情が詳しく調べられて興味深い。

著者の固定観念・偏見のたぐいによって本質的なところが見えていなかったり、歪められたりしているのも感じるが、これがもし本当だったら私が間違っていたのではないかと思えるような部分も多い。その辺をどうやって見極めていくか。実に刺激的だ。

結論としては、我が国のニューエイジ運動や新霊性運動は、とどのつまり方便として用いられれいると言う。従業員の忠誠心を涵養する武器としては、すべてが必要必然ベストであると説く、たとえば船井流のニューエイジがもっとも好都合だというのだ。自我の否定あるいは没我、ないし“和”による会社という全体への忠誠。全体主義への傾斜。

しかし著者には、ニューエイジや新霊性運動の深いとことに何があるのかまったく見えていない。霊的な目覚め、自我の否定、没我はそのまま全体主義とイコールではない。  


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